■Peace for Paris
PeaceforParis のイラストを使った貼紙。「わたしはパリ」と書かれてある
14日、エッフェル塔は沈黙を続け、日没後の空の闇の中に消えてしまったようだった。
1月にパリで起きたシャルリ・エブド襲撃事件の時も、エッフェル塔は消えずにパリを照らし続けていたのに。
21時20分、30分、53分
パリ郊外スタッド・ドゥ・フランス
死者1人
テロリスト3人死亡
21時25分
パリ10区ビシャ通りとアルベール通りの角 ル・カリヨン、ル・プチ・カンボッジュ
死者15人
21時32分
パリ11区フォンテーヌ通り ラ・ボンヌ・ビエール
死者5人
21時36分
パリ11区シャロンヌ通り ラ・ベル・エポック
死者19人
21時40分
パリ11区ヴォルテール大通り コントワー・ヴォルテール
テロリスト1人死亡
21時40~0時20分
パリ11区ヴォルテール大通り ル・バタクラン
死者89人
テロリスト3人死亡
レストランやビストロ、カフェ、コンサートホールで無差別に少なくとも129人が射殺され、
350人以上が負傷した(16日現在)。
たまたまそこで食事したり音楽を楽しんでいただけの多くの若者たちが、残忍なテロの犠牲となった。
美味しいプチレストランや面白いブティックが集まるコンサートホールのル・バタクランのある辺りを、「北マレ」と呼んでしまう人も多い。
某メゾンのマーケティング担当者からテロの翌日、「誰か知り合いがいても全然不思議じゃない界隈。ぞっとした」と連絡があった。
わたしはテロの前日の夜21時すぎまで、ル・バタクラン近くのブティックで取材をしていた。
テロ当日の夜、スタッド・ドゥ・フランスではオランド仏大統領出席のサッカー独仏親善試合が開かれ、テレビで放映されていた。
前半あたりで爆音が聞こえたが試合はそのまま続けられ、終了2分前に、「パリで大変なことが起きました。試合終了後にニュースがあります」とのアナウンスがあり、画面に予想もできないことが映し出された。
そして0時前にオランド大統領が非常事態宣言を発令した。
この悲惨なニュースが流れて間もなく、ソーシャルネットワークは” PeaceforParis ” のイラストでいっぱいになった。
多数の犠牲者を出した戦争と呼べるこの同時テロに立ち向かうシンボルとなったエッフェル塔を書いたのは、ロンドンを拠点にする32才のフランス人イラストレーター、ジャン・ジュリアンさん。
パリの惨事をラジオで聞き、心をともに平和を願う気持ちで即座にこのイラストを書いたそうだ。
テロの翌日、平和のシンボル” PeaceforParis “のグラフィックのエッフェル塔が、止む終えず休業した店舗がお客さんたちへのメッセージとして、そしてレストランやカフェに現れた。
ブーランジェリーのポワラーヌは、あの有名なミッシュ(大きな丸形パン)にこの平和のエッフェル塔を描いた。
ポワラーヌのパリ6区シェルシュ・ミディ店のウィンド。Thanks Giving とPeaceforParisのミッシュが並ぶ ©Poilâne
ガイドブックLe Foodingは、テロの犠牲者へ追悼と飲食業の応援、テロへの恐怖に屈しずみんなで外食を楽しもうと17日の夜、賛同レストラン、カフェ、ブラッスリーで ” Peace for Paris みんなでビストロ ” と題したイベントを開いた。
■そして人生は続く
13日に発令された非常事態宣言は、3か月間延長された。
1月のシャルリ銃撃後のように、仏国民はデモや集会が開けない。
パリ市民はテロ翌日から、「閉じこもってはいけない」「テロを怖がってはいけない」「いつも通りに行動しよう」と声をかけあった。
学校、公共施設、繁華街の商業施設、美術館、観光名所、マルシェ(市場)は閉鎖を強いられ殺風景だったが、街の商店街はいつも通り営業、普段と変わらない週末だった。
テロ2日後の日曜日。サン・マルタン運河は若者たちで賑わっていた。
この架け橋の左手の通りを行くとル・カリヨンとル・プチ・カンボッジュがある
そして日曜日、友人たちと10区のル・カリヨンとル・プチ・カンボッジュへ赴き、犠牲者の方々に献花した。
この2つのレストランは、パリで今一番モード、フード、カルチャーと活気があって面白いサン・マルタン界隈にある。
ル・カリヨン。犠牲者の方々に祈りを捧げる人たち
ル・カリヨンの向かいにル・カンボッジュがある
この日、サン・マルタン運河沿いのカフェやバーはどこもほぼ満席。いつもの日曜日を越える賑わいだった。
テロが発生したレストラン前でも、カフェでも、今傍にいる今日まで知らなかった「みんな」と一緒にいる大切さを知った。
サン・マルタンで ” WING FOR PARIS ” 貼っているアーティス。翼の真ん中に立てば天使になったポートレートが撮れる
子供用の翼も
運河沿いにあるベンシモンのブックストアARTAZART。店内は押すな押すなの入りだった
週が開け、10区のテロ現場の通りにオフィスとショールームを構えるメゾン「ベンシモン」のプレスから、「いつも通り。人生は続く」と、フォーブール・サントノレ通りにあるブティックが構成する委員会からは、「人生は続く。そしてパリジャンたちは顔を上げる」とメールが届いた。
学校などの公共機関は朝から、そして午後にはルーヴルをはじめとする国立美術館、パリ市立美術館も再開に漕ぎ着けた。
夕方にはエッフェル塔がトリコロールのイルミネーションで、2日半ぶりにツーリストを迎えた。
月曜日の正午、同時テロの犠牲者の方々へ1分間の黙祷が捧げられた。
パリのように報道されず、戦争やテロの危険に瀕している国の人たちのためにも、平和の祈りを捧げなければならない。
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。