ありがとう平成!時代を彩ったカルチャーたち

2019/01/12 06:28 更新


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【センケンコミュニティー】ありがとう平成! 時代を彩ったカルチャーたち

 センケンコミュニティーは特別企画として、平成を彩ったファッションやカルチャーの思い出を、当時についてよく知る方々とともに振り返ります。ギャルの聖地からスキーブーム、スニーカー、伝説のディスコまで、たくさんの熱狂がありました。

■ギャルと渋谷と109

"出待ち"の女性や福袋交換会

 再開発が進む東京・渋谷のランドマーク的存在といえば渋谷109。95年ごろからヤングレディスの店を強化し、99~00年には「エゴイスト」をはじめとしたカリスマ店員ブームが起きた。雑誌にも登場する彼女たちは若い女性の憧れのまと。「夜9時閉店で、9時半以降には通用口に出待ちの女性が並んでいた」と振り返るのは、テナントリーシングなどに関わり当時を知る中里研二さん(現SHIBUYA109エンタテイメント・マーケティング戦略事業部副事業部長兼マーケティング戦略部長)。カリスマ店員が着る服はとにかく売れた。

 1月2日の初売りの朝も記憶に残っている。109から道玄坂にかけて行列ができていて「何かと思ったら『福袋を買うため』だと。エスカレーター前でずっとお客の整理をしていた」。その後、自然発生的に福袋の中身の交換会も始まった。

 05年ごろまではいろんなテイストの新ブランドが次々登場したが、「もうけるぞ、一山当てるぞ、というギラギラした人たちばっかりだった」と笑う。「区画も空いていないのに、出店したいとそこの図面を勝手に作ってきたり。ちょっとわがままで自己主張も強いけれど、面白くて個性的な人がたくさんいた」。新しいことに挑戦しようとする人のプレゼンには心を動かされ、そこからブームを作ったブランドもあった。販売員は他店にライバル心を燃やし、「休憩室でも口をきかないとか。それだけ皆、売ることに真剣だった」。

 ここ10年ほどは、若者の消費や価値観もどんどん変わっている。今後はファッションだけにとどまらず、エンターテインメントの街、渋谷で「モノ、コトを含めて新たな提案をしていきたい」。19年には新しいロゴの109に生まれ変わる。

平成の渋谷と共に歩んできた渋谷109

■スキーブーム

飛ぶように売れた高額ウェア

 昭和から平成にかけて盛り上がったスキー。ブームのきっかけは、87年に公開された映画『私をスキーに連れてって』だ。これに触発された若者が一斉にスキーを始め、ハイシーズンの週末には主要バスターミナルにスキー場へ向かう深夜バスが並び、ゲレンデには人があふれ、リフト待ちに1~2時間、というのもざらだった。

 「85~92年ごろまで、専門店への販売応援に総務を含めて全社員が駆り出された」。そう話すのは、当時デサントでスキーウェアの営業に携わっていた佐野茂樹さん(現R&Dセンターみらい製品開発課所属)。

 応援先では「商品を倉庫から店頭に並べるだけで、上下で7万~8万円もするスキーウェアが次々に売れていった」と振り返る。

当時を振り返るデサントの佐野茂樹さん

 92、93年のピーク時には、スキーウェアの市場規模は1000億円を超え、人口は2000万人に迫る。プレーヤーも多く、デサント、ゴールドウイン、フェニックスを筆頭に、アシックスやミズノ、ヤマハなどが複数ブランドでスキーウェアを手掛けた。マーケティングも年々派手になり、最終的には「ウィンター競技に強い海外ナショナルチームの大半を、日本のメーカーがサプライした」ほど。

 〝スキーバブル〟が残したものは何か。佐野さんは「トライする精神」だと強調する。「とにかく毎年新作を作り、ユーザーに買い替えを促さなければならなかった。そのために知恵を絞り、開発に力を入れた。その結果、最先端の技術や新しいアイディアが生まれるのは常にスキーだった。例えば空気抵抗を減らすため、縫い代を極端に減らしたダウンヒルワンピースの考え方は、現在野球用パンツなどで採用する1枚仕立ての『ユニフィットパンツ』に生きている。このように当時の経験とノウハウは財産だ」。

当時のスナップ。雪山に映える派手な柄使いとハイウェストのワンピーススタイルも流行した
デサントは94年、ロゴ入りのRV車をシーズン中に貸し出すキャンペーンを展開し話題になった

■スニーカーの昔と今

芸人・上田歩武さんに聞く

 平成のファッションを振り返る上で欠かせないのがスニーカーだ。スニーカー好き芸人として知られるグッドウォーキン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)の上田歩武さんに、スニーカーにまつわる思い出や今のブームの特徴などを聞いた。

 80年に滋賀県で生まれた上田さん。中学時代に漫画「スラムダンク」やバルセロナ五輪の米国バスケットボール代表などを通じて「スニーカーに興味を持ちファッションに自然とはまっていった」。

 当時の思い出の一足は「アディダス」の「スーパースター」。「雑誌で憧れた仏製は、つま先とソールが良い感じに黄ばんでいたけど、僕のは現行品で真っ白。どうにか近付けようと、サッカー部の練習時まで履いたけど、ただ汚れただけだった(笑)」

 現在のお気に入りは、「ナイキ」の「エアジョーダン1」や「リーボック」の「ポンプフューリー」のほか、20年程前の「アンダーカバー」のキャンバススニーカーだ。アンダーカバーは、「かつて、雑誌『アサヤン』で藤原ヒロシさんやジョニオさんたちが履いていて衝撃を受けた。当時は購入できなかったものを、オークションサイトで見かけ、4年程前に数万円で落札した」という。

 昨今のブームについては、「毎週のように新作が出て、リリース情報も簡単に入手できる。一方、スピードが早過ぎて追いつかない。つい最近まで人気だったスニーカーが、もう売れなくなったなんてことも聞く」という。

 今後のスニーカー市場については、「現在のカスタムオーダーを超える、個人が一からスニーカーを作れるようなサービスが出来たら面白い」と期待する。刺繍を得意とし、都内のアパレルショップでイベントも開くなど業界との関わりも深い上田さん。「スニーカーブランドと協業したい」と意欲もある。

グッドウォーキンの上田歩武さん。お気に入りのスニーカー3足と一緒に

●ジュリアナ東京

当時の熱気が大阪で復活

ジュリ扇で気分もバブルに

 90年代前半に一世を風靡(ふうび)した伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が大阪・梅田に復活している。ラグジュアリーな内装に加え、お立ち台も完備。羽根のついた独特の扇子「ジュリ扇」も販売するなど、当時を知る人もそうでない人も楽しめる空間となっている。

 ジュリアナ東京は、昨年の10月に梅田の繁華街の一つである東通り沿いにオープンした。来場者は40代前後が中心。夜11時まではジュリアナの代名詞ともいえるようなレイヴサウンドに加え、ソウル、ダンスクラシックなど懐かしのダンスナンバーが多く、年齢層が若くなる11時以降はEDMなどが中心になる。週末ともなると400~500人が詰めかけ、ボディコン姿の来場者もあるという。ジュリアナ東京独自の熱気を感じに、一度出かけてみては?

フロアやラウンジなど店内はラグジュアリーな雰囲気

(繊研新聞本紙1月1日付)


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