琉球藍研究所の嘉数義成代表、琉球藍の産業化を目指す 自らも育て生産量10倍へ

2024/08/06 06:28 更新


農業に携わるメンバーもアパレル出身が多い。「考え方は柔軟」と嘉数さん

 アパレルメーカーのレキオ及び琉球藍研究所の代表を務める嘉数義成さんは、10年ほど前から希少な琉球藍を沖縄本島で育て、染料として活用している。生産が安定してきた琉球藍を使い、自社ブランドだけでなく「デンハム」「ザイノウエブラザーズ」ら多くのブランドとも協業。藍の栽培は自前の生産分と協力農家で年間10トンほどだが、近い将来10倍に増やす。嘉数さんは「琉球藍を産業化したい」と話す。

(永松浩介)

 琉球藍は、徳島県などで栽培されるタデ科の藍とは異なるキツネノマゴ科の植物。藍染料の製法も違い、紀元前からあるといわれる沈殿法だ。インディゴブルーだがややグレイッシュなのが特徴。嘉数さんは17年間アパレル事業を営んでいるが、ここ10年ほどは自ら琉球藍を育て染料を作っている。

 北部の山原(やんばる)地域で栽培。台風の終わる秋口に苗を植え翌年の5、6月に刈り取る。畑の管理は大変だが重機で耕作放棄地などを整備し、農業できる土地を増やしている。

 収穫した藍の葉の量の10%が染料の元になる沈澱藍となる。嘉数さんと協力農家で今は葉の収穫量が10トンのため、原料は1トンほど。これをまずは倍にしたいという。

 徳島の藍のように産業化するのがゴール。産業になれば自分がいなくなった後も琉球藍が残るからだ。そのためには絶対量が必要で、藍の葉100トン、原料で10トンを目指す。「10トンあれば一定量のデニムも染められるし、琉球藍の存在も広く知ってもらえるはず」と嘉数さん。

 もっとも、増産には人手もお金も必要だ。今はマイナーな存在のため農協は買い取ってくれず、農業収入がないと見なされ融資も受けられない。1、2年で産業化は難しいため、畑がある東村との連携が欠かせない。「農業を通じた雇用増だけでなく、過疎地域の共同売店の運営なども視野に入れている」という。



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