東京は「03」、大阪は「06」…電話の市外局番としてまず思い浮かべる数字だろう。だが大阪06には一つ例外があり、大阪府以外に06がつく場所が存在する。兵庫県尼崎市だ。
大阪に電話交換局が開設されたのは明治26年(1893年)のこと。だが電話線が張り巡らされるのは後のことで、実際に電話でやり取りできる場所は限られていた。尼崎の本社工場と大阪出張所の情報伝達に苦労していた尼崎紡績は、大阪―尼崎間に自費で電柱と電話線を通し、電話交換局に提供した。
これが他事業者や市民らにも開放され、尼崎市の市外局番は06となった。明治以降の日本経済をけん引した近代紡績業の勢いを象徴するエピソードだ。
その尼崎紡績をルーツとするユニチカが、祖業の繊維事業から撤退すると11月28日に発表した。寝装やドレスシャツに使われる細番手の紡績糸、ストレッチや遮熱などの機能性に優れた合繊複合糸など強みを持つが、近年は収益確保に苦労していた。
紡績業が栄えた20世紀初頭には「三大紡績」の一つに数えられ、戦後の合繊時代には「合繊8社」としてしのぎを削ったが、今では大きく様変わりしている。日本のインフラを築いた繊維産業にとっては何度目かの転換点と言えそうだが、ここで消えるわけにはいかない。過去幾度も苦難を乗り越えてきた繊維産業のたくましさを信じたい。