降り立った七尾駅前の風景はいつもと変わらない様子で、一見では大きな揺れが襲った町とは感じられない。だが地域の水道が止まっているため、駅周辺の飲食店は営業が再開できないという。通りをよく見ると、崩れた石塔や外壁がはがれ落ちた商店がある。遠くには瓦屋根の一部をブルーシートで覆った家屋もちらほら見える。
2月中旬、地震後の石川を訪れた。家屋が全壊したり、火災や津波に襲われた奥能登に比べると、ここ中能登の被害は軽微に思えるが、目を凝らすと至る所に地震の爪痕が残る。自宅が被災した繊維企業の従業員もいる。金沢市に接する内灘町やかほく市では液状化被害が深刻だった。何事もないように見えた街並みが、突如あるエリアで一変する。通り一帯、電柱は倒れ、建物も新築だろうが容赦なく傾いている。
当たり前の日常が、あの日を境に変わってしまったことを思い知らされる。被害の大きな震源近くにばかり目が行きがちだが、人間の営みがあったそれぞれの場所に、それぞれ失われたものがある。
能登では今も毎日のように余震が発生しており、被災者はそのたびに1月1日がフラッシュバックするのではと心が痛む。時が癒やしてくれるなどと軽々しくは口にできない。けれども春がくれば再び花が咲き、季節は巡る。東日本大震災発生から今日で13年が経つ。