粟散辺土(ぞくさんへんど)という言葉がある。昔、中国やインドなど勢いのある大国に対し、日本は粟(あわ)粒を散らしたような辺境の小国であるという意味で使われた。平家物語などにも「この国は粟散辺土と申して…」とあり、少し卑下するような感覚で使われていたようだ。
ある服飾雑貨メーカーと話をしていた時のこと。「何だか、日本はちっぽけな貧しい国になってきたような気がしています」と言われ、この言葉を思い出した。そのメーカーは「良い商品は海外向けで、日本市場向けは、とにかく低価格を要望される結果、ボリューム品しか売れないようになってきた」という。
まだ相応の購買力を持っているとはいえ、日本の国力全体、消費パワーの低下は当分続くのだろう。「あの東京五輪の時は、まだ日本人もよく買い物をしていた」と振り返る日が意外に早く来るのかもしれない。
半面、そう悲観すべきでないのかも。必要以上の消費をしなくても人生を楽しむすべはある。仕事に使っていた時間を、家族のため、自分の趣味のために生かすことも悪くない。思えば、粟散辺土であったがゆえに、〝ガラパゴス〟的な文化を育み、マニアックな物作りをしたことが、妙に海外から評価されることにもなった。嘆くばかりでなく、自分たちの生き方を問い直す良いタイミングでもある。