どう作るどう守る②連携

2015/09/20 06:00 更新


“こだわり”の取り組みが進む

 テキスタイルができるまでには非常に多くの段階を経る。産地には様々な企業が集積し高度な物作りを支えてきた。生産量の減少に伴い、物作りを支えてきた産業チェーンの維持が難しくなっている。日本の産地は、合繊の北陸、ウールの尾州に代表されるように産地ごとに得意とする素材が異なる。素材が異なれば生産工程にも微妙な違いがある。独自の生産工程を守るため産地内での新たな取り組みが始まっている。

危機感は深刻

 「好きな物作りで商売ができてうれしい。これでもうかれば、本当に幸せなんだが」。産地の人々がよく口にする言葉だ。年代を問わず、物作りについて考え続けている人々が多い。ただ、この一人ひとりのこだわりが、産地内での連携や協力を阻害してきた側面もあった。国内市場に占める日本製衣類の割合が3%になり、産地の人々の意識は大きく変わろうとしている。

 14年12月、第一織物(福井)、カジレーネ(石川)、豊島繊維(福井)の3社が共同事業体「ホライゾンタルコープ」の立ち上げを発表した。産地間の枠を超えた機屋同士の水平連携。互いの技術、現場のノウハウを開示し合ってテキスタイルブランド「キューブテックス」を開発、販売しようという試みだ。機屋は3社に限定するが、「機屋だけでは生き残れない」と、撚糸・仮撚りなど糸加工業を巻き込み産業チェーンの維持を狙う。

 北陸の機屋3社が立ち上げた「ホライゾンタルコープ」。左から梶政隆カジレーネ社長、吉岡隆治第一織物社長、豊島雅之豊島繊維社長
北陸の機屋3社が立ち上げた「ホライゾンタルコープ」。左から梶政隆カジレーネ社長、吉岡隆治第一織物社長、豊島雅之豊島繊維社長

 このプロジェクトには、もう一つ興味深い点がある。国内の合繊メーカーが8社体制だった90年代まで北陸の企業は東レ系、帝人系、旭化成系などの系列に分かれていた。中国の台頭もあり合繊メーカーの多くがポリエステルの国内生産を停止し、系列の枠組みは崩れていった。今回の3社は系列が異なり、20年前では考えられない組み合わせ。危機感の深刻さがうかがえる。

 米沢では「米沢・ファッション・ブランド」が14年設立され、産地ブランドの生産・販売の事業化を進めている。参加したのは産元商社のワボー、染色・加工の東北整練、縫製のアトリエ・フォンティーヌの3社。産地内には織物、染色、整理、撚糸、卸商業と各段階ごとに組合があり、交流もほとんどなかった。しかし、アパレル・小売りと産地との距離が広がる中で、「直接的に関わり本格的な物作りをしたい」と強く思った者同士で、今回の垂直連携が実現した。

若手も動く

 過去にとらわれずに模索するグループもある。福井では13年秋に産元商社、糸加工、織屋、ニッター、染色加工から40社50人の若手が参加した「ITOMO」(いとも)が発足し、勉強会を開始した。福井には、この他にも福井県織物工業組合の若手が中心となって産地ブランド「HUBTAE」(はぶたえ)を開発するグループもある。山形ニット産地では山形県ニット工業組合の清野秀昭前理事長が資産を売却するなど身軽にした後に、若手代表の佐藤正樹氏に理事長のバトンを渡して産地の発信力強化を託した。

 産地では生き残りをかけた連携が様々な形で進んでいる。この動きに注目していきたい。

 

【前回】どう作るどう守る①単位の違い

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