「手遅れと言われても続ける」工賃は20年前と同じ
国産の服と聞くと、どんなイメージが湧くだろうか。一般的には安心感や高品質、海外とは一線を画した商品を思い描く人もいるだろう。しかし、良い面ばかりではない。日本全国の国内縫製工場はここ数十年、低工賃に悩み、経営は自転車操業が続く。後継者はおらず、技術継承すら危うい状況下、現場からは悲鳴が上がる。(森田雄也)
「先行きは見えない。ほかに勤めろ」。東海地区のある縫製工場の2代目経営者。昨年暮れ、思い切って息子にそう告げた。数回話し合い、今年2月、息子は他のサービス業に転職した。「家族経営は心強い。一緒にやりたいのはやまやま。でも縛れない」と肩を落とす。
中国移転が加速
昔から父が営んでいた縫製工場。経営が楽ではないのは知っていたが、実家を出て東京で学生生活を送っている時「(経営が厳しいので)資産を売らなければならない」と、いよいよ父親から連絡が来た。大学を中退し、実家に帰って縫製業を手伝った。父の他界後は、2代目として切り盛りしてきた。
まだ何とか生活はできていたが、00年を過ぎて急速に工賃が落ちてきた。生産の中国移転が加速した影響だった。縫製アイテムをカットソーに広げたり、外国人技能実習生も入れたりして、しのいできた。しかし、08年のリーマンショック以降、仕事自体が途絶えだした。工賃はジャケットで5000円あったのが、今は3000円程度。経営は厳しい。
息子はもともと、この仕事をやりたいと入社した。しかし、息子が辞める当時の給料は月15万円程度。ボーナスはずっとゼロ。「友人と比べて少なさを感じていたと思う。もっとあげたかった」と悔しさがにじむ。
ある工場の経営者は70代前半。「目が痛いし、疲れやすい」と話す。それでも自分が縫製会社を立ち上げて50年。何とか工場を残したい。気力だけで踏ん張ってきた。年収は300万円。年金があるので、自分が暮らす分にはなんとかなる。しかし、「働き手は集まらない」と嘆く。
在庫品を資産計上
また別の工場は、決算上は黒字経営。しかし、それは見切らなければならない過去の在庫品を資産計上しているからで、「実質は赤字」。銀行の手前、赤字を出せないためという。まだ20代の息子が入社して何年も経っていない。役員報酬を調整しながらやりくりする。
繊研新聞社は9月、全国の縫製工場に向けてアンケートを送付、100社の回答を得た。その設問の一つ、「今後、国内縫製工場が生き残っていくためには何が必要だと思いますか」に対し、次のような回答があった。
「今さら手遅れです。20年以上前より安い加工賃で企業として成り立つはずがありません。昇給、ボーナスが15年以上も無い会社に勤める人などいません。技術継承など不可能です」
手遅れと言われても、食うために、赤字幅を少しでも減らすために、採算割れの工賃で無理やり仕事を続けている縫製工場がたくさんある。日本製を支えているのは、紛れもなく彼らだ。
生産の海外移転と低工賃、人手不足と後継者難…。国内縫製業は限界に近づいている。その課題と展望について取材した。この連載へのご意見・ご感想を、housei@senken.co.jpまでお寄せください。
(繊研 2016/11/15 日付 19590 号 1 面)