ベテラン記者によるジーンズの深いぃ話-9

2015/08/01 08:05 更新


 ジーンズを担当して20年の繊研新聞記者が、方々で仕入れてきたジーンズ&デニムのマニアック過ぎる話を、出し惜しみせず書き連ねます。
 ジーンズは新しい素材や加工などの技術開発によって新商品を生み出し、その市場を広げてきたといわれます。日本のジーンズの歴史を振り返りながら、商品開発によっていかにジーンズの着用層やマーケットを広げてきたかをみてみます――。

 

日本のジーンズの歴史を振り返る(上)
新技術が着用層広げ、マーケットを拡大

◇米軍放出品をリサイズして着用

 日本のジーンズの歴史は、戦後、アメリア進駐軍が放出した中古衣料からスタートする。アメリカ人サイズのジーンズなので、日本人がはくには大きすぎ、当時はリサイズして販売していたという。東京・上野のアメ横にジーンズカジュアル店が多いのは、米軍放出の中古衣料を扱う店が多かった名残りだろう。

 

写真はイメージです。
写真はイメージです。

 

 日本で最初に国産ジーンズを世に送り出したのは大石貿易で、米国のキャントン・ミルズ社から輸入したデニムを使ったジーンズ「キャントン」を1965年に発売した。このとき、キャントンの縫製を手掛けていたビッグジョン(当時はマルオ被服)が、国産デニムを使った最初の日本製ジーンズを73年に発売する。デニムはクラボウが開発した。ビッグジョンと同様に、輸入デニムを使ってジーンズを国内で生産していたエドウインやボブソンも、ほぼ同時期にジーンズビジネスを本格化し、日本でも70年代前半にジーンズブームを迎えた。

◇ヒッピーファッションとベルボトム

 マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンなどのハリウッドのスターが映画の中でジーンズを着用し、”不良の服”というイメージが米国で定着した。ちなみに「理由なき反抗」(1955年公開)の中でジェームズ・ディーンが着用したのが「リー」の101ライダースだった。

 さらに米国では60年代後半、ベトナム反戦運動などを背景にヒッピームーブメントが起きた。そのヒッピー・ファッションの象徴がベルボトムのジーンズだった。同じ頃、学生運動の嵐が吹き荒れていた日本の若者にもジーンズが”反体制の象徴”として急速に広まっていった。

 

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 70年代後半になるとヒッピー文化は急速に衰退し、それに伴ってジーンズのスタイルも変化していく。80年代にはペダルプッシャーが流行。自転車のチェーンにからまらないよう裾を絞っているため、こう呼ばれた。

 この頃から、ジーンズの加工技術の飛躍が始まる。新品のジーンズはゴワゴワしているため、キャントンが発売されてすぐの頃から、工場で家庭洗濯機を使った水洗いが行われていた。加工機の中に石を入れてジーンズと一緒に洗うストーンウオッシュの起源については以前も書いたが、誰が最初にやりだしたかは定かではない。メーカーの歴史を調べると、エドウインが81年、ビッグジョンが83年となっている。石を使えば、水だけで洗うよりも生地がずっと柔らかくなるし、長時間加工すればするほど、はき古したような雰囲気が出せる。

 80年代後半には、塩素などの漂白剤を使って白く色を抜くケミカルウオッシュが大流行した。当時は”霜降り”のような加工ばかりだったが、化学薬品を使って色を抜くため自由自在な柄表現が可能で、2000年代に再びケミカル加工の小さなブームがきたときは、表現のバリエーションが広がった。

◇バイオ加工が生んだソフトジーンズ

 90年代に入ると、レーヨンや「テンセル」を使ったソフトジーンズが登場する。92年にボブソンがレーヨン素材を使った「04(ゼロヨン)ジーンズ」を発売。ネーミングの「04」はレーヨンにひっかけたもの。ちなみに同社は95年にニットジーンズ「210(ニット)ジーンズ」、さらには合繊のジーンズ「N5000(ゴーセン)」というネーミングでシリーズ商品を出している。

 レーヨンやテンセルは綿と比べると比重が重く、はいたときの落ち感があって、ジーンズにしてはきれいめの雰囲気になる。そのため、年配の男性にも受け容れられた。

 

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 ソフトジーンズのブームにおいても加工が重要な役割を果たした。ポリエステルの表面をアルカリで溶かすことによって絹のようなしなやかな風合いが得られる(アルカリ減量加工)のと同じように、レーヨンなどのセルロース繊維は酵素の力で繊維を細く痩せさせることができる。これによってソフトでしなやかな風合いが得られることからソフトジーンズと呼ばれた。酵素による加工はバイオ加工ともいう。

 テンセルは比較的最近に開発された素材で、レーヨンの欠点であった強度を高め、製造工程も環境に優しいという特徴があった。当時は市場・用途開拓の段階で、96年にジーンズメーカーがこぞってテンセルを使ったジーンズを発売した。あまりに同時期に集中したため、マーケットには一気に飽和感が漂い、期待商品であったのにその芽を摘んでしまった。その後、テンセル100%使いのジーンズはほとんどみかけなくなったが、コットンなどの素材と複合した商品は市場に定着している。

◇現在も息づくこだわりのものづくり

 90年代後半にはビンテージジーンズのブームがあった。昔のオーセンティックなジーンズの雰囲気を忠実に再現したものが、ジーンズマニアを中心に人気を集め、「ドゥニーム」などのブランドが売り上げを大きく伸ばした。

《関連記事》どこまでも忠実に再現~ビンテージの話~/はいたままお風呂に入るのが流行~ビンテージの話その2~

 ビンテージジーンズについては以前に詳しく書いたが、昔の生地や付属の雰囲気を忠実に再現しようとしたもので、手間がかかる分、当然価格も高かった。それまで7900円が高価格ジーンズの標準プライスといわれていた中で、1万円を超えるビンテージジーンズが売れたことは特筆すべきことだった。

 しかし、後のプレミアムジーンズ(米国の高級ジーンズブランド)のブームとは違い、あくまでジーンズマニアの中だけのブームであったため、一過性で終わった。ただし、こだわりジーンズのもの作りやマーケットは縮小したとはいえ、脈々と生き続けており、そうしたもの作りのできる日本の産地は海外のジーンズメーカーから、憧れの地としてみられている。

※写真は全てイメージです。

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右綾と左綾のわずかな違いも見分けた日本の消費者」へ



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