《〝東京ニューエイジ〟とは何だったのか㊦》ファッションという概念そのもの 「絶命展」からの連なりをたどる

2026/01/27 15:00 更新有料会員限定NEW!


15年3月19~30日にパルコミュージアムで開かれた「絶・絶命展」には約5000人が来場した

 上編では、10年代前半の東京で、若手デザイナーたちが制度やブランドの外側で結びつき、〝東京ニューエイジ〟と呼ばれる動きがどのように立ち上がっていったのかを見てきた。下編では、その思想が展覧会というかたちで最もラディカルに可視化された事例、「絶命展」を起点に、その連なりと意味をたどってみたい。

(明治大学商学部特任講師 高野公三子)

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一体何を言ってるんだろう

 「この人たちは、一体何を言ってるんだろう? というのが、最初の印象です(笑)」。そう振り返るのは、当時パルコでミュージアムを担当していた江尻裕子。13年、「ここのがっこう」を運営する山縣良和と坂部三樹郎が持ち込んだ企画書のタイトルは、「恋と占いとSEXとモテ服とアートと神と絶望と愛の展覧会~fashion exhibition」。東京ニューエイジの若手デザイナーたちによる実験的な展示だったが、内容は破天荒で、何が起こるのか全く想像がつかなかったという。

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