ボンジュール、パリ通信員の松井孝予です。
「レポート+」ではパリの文化的な出来事をお伝えしています。
そして「食」もご紹介したいのですが…
食べる飲む作る「食歴」を積む修行中です。
(いつの日か「食研新聞」を!)
さて今回はフランスの大都市リヨンから。
リヨンと言えば、フランス料理の神様、ポール・ボキューズ(1926年2月11日-2018年1月20日)のお里です。
ミシュラン2020年で、なんと星をひとつ落としてしまい2つ星になったレストラン「ポール・ボキューズ」。
仏料理会だけでなくフランス全体が天地がひっくり返るほどのショックを受けました。
このまま料理の話題に行きそうですが、そうではありません。
シルクの産地リヨン。
リヨン・テキスタイル博物館で展覧会「イブ・サンローラン オートクチュールのバックステージ」が開催されています。
この展覧会、衣装展としてはかなり異色(もちろん「いい意味で」)。
サンローランのオートクチュールの産業の視点から分析していきます。
YVES SAINT LAURENT-LES COULISSES DE LA HOUTE COUTURE
「イヴ・サンローラン オートクチュールのバックステージ」
Musée des Tissus テキスタイル博物館
34, rue de la Charité Lyon 2e
www.museedestissus.fr
開館/10時〜18時(月曜日休館)
3月8日まで
「衣装展はヒット」します。
でもどうして衣装展は人気があるのでしょう?何年か前、トワル・ドゥ・ジュイー美術を取材した際、館長のEscalmonde Monteil エスカルモンド・モンテイユさんが
この疑問に答えてくださいました。
「みんなファッションが好きだから」
テキスタイルに暁通したエスカルモンドさん。誰もが彼女の素材への情熱と真摯なお人柄に感銘を受けます。
世界に誇るリヨンのテキスタイル博物館の再オープンにあたり、新館長に選ばれたのがこのエスカルモンドさん!
(同博物館はリヨン商工会議所が所有していたのですが老朽化で閉館の道を辿っていたところ、地方自治体と国が救った_という背景あり。)
就任第1弾がこれからご紹介するサンローラン(1936-2008)の企画展です。
シルク、タフタ、モスリン…オートクチュールの真の舞台裏
展覧会のタイトルは「イヴ・サンローラン オートクチュールのバックステージ」。
Les coulisses このフランス語の英語訳バックステージとカタカナで書くとそれらしく想像できるのですが、モデルたちのいるショーのバックステージではなく、ここではオートクチュールの檜舞台を創るコレクションの素材にフォーカス。
パリのイヴ・サンローラン美術館のコレクションディレクターのAurélie Samuel オレリー・サミュエルさんとのダブルキュレーションによる、サンローランとテキスタイルメーカーの協業/会話、リヨンでしかできない「YSL オートクチュール産業の舞台裏」が待っています。
あるテーマに従って完成されたコレクションを鑑賞するのが衣装展の常。その常識をひっくり返し、本展ではクロッキーからプロトタイプまで、コレクション制作のステップを公開!
こんなことが実現できたのも、イヴ・サンローランとピエール・ベルジェ(1930-2017)のアーカイブ力があったからこそ。
メゾン・サンローランは1961年に創設、62年に初のショーを開催。
YSL財団代表ディレクターのオリヴィエ・フラヴィアノさんのお話では、当時、オートクチュールメゾンはショー開催後、プロトタイプをモデルにプレゼントするか、クライアントに販売していたが、サンローラン&ベルジェは64年以降、プロトタイプ、そしてコレクション制作の心臓、必要な情報が全て記載されたバイブルシート/ la feuille de Bibleなどすべてを保存すると決めたそう。
その貴重な資料からサンローランがコレクションに採用したシルクメーカーを突き止め、同展の企画が成就したわけです。
オートクチュールメゾンが絶対見られたくない、生地の購入価格が書き込まれたYSLの家計簿的な管理シート/les fiches de manutension まで公開。
このシートにはドレスに採用された素材のメーカー名、購入メーター数とその「価格」、納品日が記入されます。
これこそ経済からみる オートクチュールHow much !(当時はフランスフランなので€に換算しなければならないのですが)。
YSL美術館がここまで見せてくれとは。たまげた。
オートクチュール、2つのビジネス
まずはテキスタイルビジネスから_
オートクチュールコレクションの素材は誰が選ぶのか。
まずは素材担当者がシーズンごとに1万メートルほどのサンプルを集め、プレセレクション。それを色分けしてから、ムッシューサンローランに見てもらいます。
ムッシューサンローランはテキスタイルに触れ、それをハウスマヌカンに巻きつけた姿を直接見ずに、「鏡」に写して見ます。こうして採用されるテキスタイルは1000メートルほど。10分の1の確率でコレクションになるテキスタイルだけが支払い対象になるのです。
ショーでモデルが着用する分、そしてオーダーで制作される分、つまりテキスタイルメーカーは1着分+αしか儲からない。
でもやっぱりオートクチュール。YSL御用達の看板はビジネスを輝かせます。
60年代はショーの報道がなかった時代。ショーが終了すると、6か月後に掲載される雑誌広告用の写真撮影が行われていました。
撮影費用のインボイスはテキスタイルメーカーが支払います。その代わり広告にはテキスタイルメーカー名がしっかり記載される。
「ウチの生地がサンローランのコレクションに使われたんですよ」と動かぬ証拠、YSLの広告がセールストークなるわけです。
「サンローランやほかのオートクチュールメゾンからの発注のおかげで、存続できたメーカーがあることは事実」と前出のオリヴィエさんは指摘します。
この展覧会ではメゾンYSLが保存していたそれら雑誌広告から、テキスタイルメーカーを追跡。
幸運にも探し当てた生地をテキスタイル美術館が研究し、メーカーが苦難の末開発してたジャカードのラメやモスリンのテクニックの進歩、オートクチュールコレクションの難しさを解読していきました。
もちろん、本展では広告写真と生地が一緒に展示されています。
そして当時のメゾンYSLショービジネスも_
オートクチュールメゾンは富裕層だけでなく、日米の高級百貨店もクライアントでした。
百貨店は1型につき2、3着作れる権利を購入、同じ素材、でも他のアトリエで制作させていたそうです。
ピエール・ベルジェはそうしたバイヤーたちに、「ヴィジョン権」としてショーの席を有料で提供するビジネスを思いつく。素晴らしい商才!
8つのリヨンテキスタイルメーカー
メゾンYSLのアーカイブから突き止めたオートクチュール御用達テキスタイルメーカー。本展ではその中心となる8社のテキスタイルでつくられた25のシルエットを初公開!
なかでも1980年秋冬コレクションのフィナーレを飾った「ラ・マリエ・シェークスピア」はリヨンのサヴォワール・フェールの金字塔。ムッシューサンローランが愛読したシェークスピアに着想を得たウェディングドレスです。
ヴェネチアスタイルのマントーの素材はビュコル社のふくれ織、ドレスにはアブラハム社のダマスク織、アームのドレープにはビアンシニ社のラメ、そしてヴェールにはユレルのチュールが使用されています。
●Abraham アブラハム(1876ー2003) プリント
ギュスタヴ・ズムステッグが独学で起こした会社。1940年代にはオートクチュールメゾンを顧客に抱え、「シルク王」と呼ばれる。サンローランとプライベートな親交があった唯一のテキスタイルメーカー。メゾンYSLのスカーフのグローバルライセンスも持っていた。
本社はスイス、スタイルオフィスをリヨンとパリに置きファッションに力を注ぐ。
●Beaux-Valette ボー=ヴァレット(1935-) ベルベット
メゾンYSLのファーストショーからのお付き合い。着物用に日本へもテキスタイルを輸出していた。
●Bianchini-Férier ビアンシニ=フェリエ(1888-2002) モスリン
1889年のパリ万博でメダルを受賞。モスリンを得意技にたくさんのクチュリエたちとトレンドをいくテキスタイルを開発した。
●Bouton-Renaud ブートン=ルノー(1865-) ベルベット
●Brochier ブロシエ(1890-)テクノロジー
意匠性のあるテキスタイルで仏国内だけでくロンドン、ニューヨークでもビジネスを展開し、飛行機や船舶に向けた素材の開発も手がける。
2002年にビアンシニーフェリエを買収し、2007年にブロシエテクノロジーを立ち上げた。
●Bucol ビュコル(1924-)イノベーション
前進は1900年の万博でグランプリを受賞したり、パリのオートクチュールメゾンをはじめグローバル展開していた。20世紀に入るとイノベーーションに投資、Crancknyl, Cigalineを開発。現在はエルメスグループ傘下。
●Hurel ユレル(1879-) ウール、シルク、ジャージー、刺繍
●Sfate et Combier スファット・エ・コンビエ(1850-) モスリン
シルエットだけではありません!
リヨンを拠点にするテキスタイルの国際研究センターCIETAの分析法に基づき、これら8社のテキスタイルを展示したテクニカルルームで勉強。そしてテキスタイルメーカーやメゾンYSLのアトリエの職人さんたちが語る、この偉大なクチュリエのテキスタイルへの愛に浸るのもよし。
斬新な角度からオートクチュールを見せる、リヨン・テキスタイル博物館の力強く美しいルネサンス/再建を象徴するサンローラン展でした。
それではまた!
A BIENTOT アビアント!
前回までのレポートはこちらから松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。