地震発生から10日後の1月11日、2度目の取材のため被災地へと車を走らせた。今回は「現場で完全に自立した取材継続ができること」を目標に、あわただしい出動となった前回の反省から、携行する食料と飲料水を増強し、10回分の携帯トイレも持参した。さらに、蓄電池を交流100ボルトに変換する「ポータブル電源」を搭載し、携帯の充電など被災地で電源を必要とされるならば供給できるよう備えた。
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道路は徐々に復旧へ
今回は全線が復旧した能越自動車道を使い、終点の石川県七尾市まで走り抜けることができた。この開通により富山県氷見市などの狭い海岸線を走ることなく七尾市中心部に行くことができ、大幅な時間短縮が実現した。さらに、道路に点在していた段差には、応急の舗装工事が施され、減速することも少なくなっていた。自衛隊の車両や全国各地の自治体名の入った消防車、医療機関の名前が入った救急車は多数行き交ってはいるものの、サイレンを鳴らし緊急走行する車両はほとんど見かけない。大きな病院の駐車場には全国から集まった救急車がズラリと並んでいた。
発災から約10日。これまでの震災取材の経験では初期の救助体制が終わり、住民たちが後片付けをする光景を目にすることが多かったが、今回の震災では遅れが目立つ。その原因については様々だが、主な要因は「壊れ方の激しさ」と「余震」と被災者は語る。
能登半島の被災地深部まで向かうと異様な光景が残っている。県道1号線と並行するJR七尾線に停車したままの特急列車。七尾駅と和倉温泉駅の間で、行き先表示には「回送」とあるが、地震の揺れで停車し、そのまま運休になったものらしい。
発災から2週間近く経とうというのにどうして動かせないままなのか。踏切の遮断機のバーを取り外して保線作業をしていた人によると、「地震で線路が曲がり、運行できなくなった」という。和倉温泉から先の「のと鉄道」の線路をまたいでみると、レールはぐにゃぐにゃと曲がっていた。
衛生状態の悪化懸念
テレビでは報道されにくいのが被災地のトイレ事情だ。前回の取材では医療従事者の皆さんと行動を共にしたことから、高齢者や障害をもった被災者を受け入れている施設の一部を借りることができた。輪島の朝市通りから直線距離にして約2キロ。施設は奇跡的に停電から免れ、エアコンによる暖房が整っていた。ペットボトルの水や食料は定期的に運び込まれていたが、困っていたのは「トイレの衛生状態だ」とスタッフ。断水のため便器内には大人用の紙おむつが入ったビニール袋が敷かれている。用を足し、利用後は、ビニール袋ごと排泄(はいせつ)物を縛りフタ付きのゴミ箱に集められる。このゴミ箱を持ち上げてみたが、尿を含んだ紙おむつだけにずっしりと重く、運び出すスタッフの負担の多さが感じられた。
防災を考えるなかで「トイレ」については重点的に備えられていたはずだ。しかし、能登の被災地の多くは「備えが機能していない」のが現実である。現在、能登半島のつけ根にあたる石川県かほく市や富山県氷見市より先の多くは断水が続いている。道の駅のトイレや公園の公衆トイレは、文字にすることもはばかれる「悲惨な状況」だ。入浴はもちろん、手洗いすらできない状況のなかで、衛生状態の悪化や感染症の拡大が懸念された。
最後にこれから現地入りしようとする人に助言したい。道路復旧が進むまで緊急車両を優先し、たとえ支援が理由でも一般車は走行しない方がいい。さらに積雪のため危険性は増す。道路が雪で覆われ損傷箇所がわからないし、雪の重みによる倒木や電柱の崩落、土砂崩れの恐れがあるからだ。JAF(日本自動車連盟)やロードサービスは無いと思った方がよく、携帯電話の不通エリアが多く「SOS」ができない。それでも行く必要のある人には、パンクではなくバーストに備え、スペアタイヤを複数個用意し、雪の中でもタイヤ交換する覚悟が必要だ。
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