私が入社したのは1984年です。丹青社には80年の歴史がありますから、その半分くらいに関わってきたことになります。
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70年に開かれた大阪万博を経て、経済成長が続く中でディスプレー業が多少は社会的に認知され、丹青社も83年に店頭登録して株式を公開したところでした。駅ビルをはじめとした商業施設、大型テーマパークなどの開発が進んでおり、「面白そう」と入社しました。アパレルをはじめとした専門店が隆盛を迎えていたころです。
バブルとその後の崩壊など様々あったわけですが、商空間を中心にしながら総合ディスプレーとしての業容を固めながら成長してきました。入社した際の売り上げは250億円規模でしたが、前期(26年1月期)に1000億円を超えることができました。
私自身のエポックとして心に残っているのは、30歳そこそこで支店長を任された千葉支店での出来事です。丹青社では当時、東京の近郊都市で市場を開拓しようといくつかの支店を作っており、その一つに千葉支店がありました。バブル崩壊後でしたが、千葉は幕張新都心の開発などで活況といっていい状況。そこで運用が開始される国際空港のターミナルや大規模なスタジアム改修に携わりました。今スタジアム・アリーナはものすごい勢いですが、こうした丹青社初の分野を手掛けられたのは貴重な経験でした。当初はノークライアントで苦労はあったのですが、培った人間関係は財産になりました。
(丹青社社長 小林統)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。
