今思えば、無知で怖さがない若造だった。社長になるのを目標に20歳で独立。仕入れ先も取引先もなく、自身だけが頼りの商売ごっこのような雑貨メーカーが立ち上がった。何のつてもない若者が商品仕入れで会社を訪問しても、断られるのは当然のこと。商品は売るだけじゃないと初めて知った。一人では何もできない、人がいて成り立つことを肝に銘じるように、人が参加すると書く「人参」から「キャロットカンパニー」と社名に刻んた。
仕入れだけでは商品を増やせず、自社生産をすることに。勢いで韓国領事館に「工場を紹介して欲しい、紹介しなさい」と飛び込んだ。窓口の方には驚かれたが、ソウルの貿易センターを紹介してもらい、その翌日にはホテルも帰りのチケットも取らず、ソウルに向かった。ただ自分の情熱に従順なだけだった。その時に出会った工場とは今も付き合いが続いている。
会社設立から毎日必死にひたすら走り続けて社員も増え、ヒット商品も生まれた。もうすぐ設立30年を迎える。だが当初の苦労を忘れたかのように、どんどん要領よくなっていることに疑問を感じている。売り上げがすべてではない。ただ「作ったものを売る」のでなく、常に「本当に必要とされるもの」を提供することが我々の使命だ。そのために何ができるだろうか。
(キャロットカンパニー社長)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。