クラウドファンディングの新会社の社長を引き受けることになり、駐在先のベトナムから帰国、メンバー探しをすぐ始めました。この時のために〝一緒に働きたい人リスト〟を用意していたので、部門長や担当役員に掛け合い、別の部署で働く8人ほどを口説いて集めました。事業計画書などを徹夜で作成し、資金も確保。帰国してちょうど1カ月後の13年5月、マクアケは生まれました。
早速、営業を始めるのですが、日本にはなじみのないクラウドファンディング事業。動き出してすぐに、多くの会社が資金調達を必要としているはずという仮説の間違いに気付かされました。数百社回ってもほとんど断られたからです。それでも数少ない実行者がいたので改めて目的を聞いてみると、満足度が高かった実行者は口を揃えてテストマーケティングや先行販売と言うのです。「マクアケで資金調達しませんか」という僕らのセールストークはフィットしていなかった。
そこから言い方を変えてサービス内容も修正したところ、プロジェクトの実行者は順調に増えました。世界企業のソニーのプロジェクトが成功し広がったことで、さらに自信が深まりました。
もっとも経営は楽ではありませんでした。親会社は事業の意義を認め追加出資してくれていましたが、売り上げ計画は常に足りません。16年に幾度目かのキャッシュ不足に陥り、「次のお願いはきついな」と思っていた頃、当時ACミランでプレーしていた本田圭佑さんから出資の申し出をもらいました。ぎりぎり首の皮一枚つながったのです。
(マクアケ社長)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。