《私のビジネス日記帳》デザイナー夢見た10歳 久保嘉男

2022/07/27 06:25 更新


 デザイナーになりたいと意識したのは確か小学4年生、10歳のころでした。樟葉駅(大阪府枚方市)近くの塾に通っていたのですが、アシックスのスニーカーを自慢げに履いていた記憶があって、そのころだったかと思います。

 洋裁学校を出た母は縫い子をしていて、結婚をしてからも家で、あつらえの服なんかを縫っていました。ジャケット、スカート、ワンピース、なんでもです。母の部屋はアトリエみたいで、学校で使うものも全て母の手によるものでした。残布なんかでエプロンやかばんを作ったり。そんな環境ですから、家庭科の授業で裁縫なんかがあると、めちゃくちゃ身近な作業なので、「俺、知ってる」みたいに得意げでしたね。

 小学6年のころに西宮市(兵庫県)に引っ越しをすると、周りのみんなはすごくしゃれていました。母は「サスーン」とかを買ってきて着させてくれていました。決してお金持ちではなかったですから、ファミリーセールとかで買ってきてくれていたんですかね。

 50年以上のキャリアがあって、今でも何かしら洋服を作っている母親ですが、自分がデザイナーになりたいという話をすると、「あんたなんか、絶対無理や」と繰り返し言われていたの覚えています。シビアな世界で生きてきたからこその心配の裏返しだと思いますが、自分の腹はその時からもう決まっていました。

(デザイナー)

「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。

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