長崎県の島原半島は古くから縫製業が盛んな地。80年代には企業誘致を受けて、多数の企業が進出した。その後の円高、海外生産の増加を背景に規模は大きく縮小するが、それでもワコールが国内の基幹工場に位置付ける九州ワコール製造長崎工場をはじめ、繊維関連工場の看板が散見される。
明治から昭和初期にかけて、この地の生活は厳しかった。島原半島や近隣の天草半島からは、貧しい家庭の娘が数多くアジア各地に売られていく。「からゆきさん」と呼ばれ、苦界に身を沈めた女性も多い。大半は生きて故郷に戻ることがなかったという。
その島原の市街地に、ひっそり建つのが台山天如塔。当時、廣田言証という僧がアジア各地を巡礼しながら、亡くなった彼女たちを弔った。この行いに感動した各地のからゆきさんが寄進して建てられたのが天如塔。寄進者の名前や住所は今も塔を囲む玉垣に残っており、中国からアジアの果てまで幅広い。
日本の縫製の多くは、この30年アジアの低廉な労働力を活用しながら乗り切ってきた。それでも100年前を振り返れば、日本も貧しかったことを改めて痛感する。さて、今の混乱が収まれば、縫製の適地を巡る議論が改めて起こるだろう。効率化やコスト偏重でなく、衣料を通じ人の幸せを一緒に追求するという視点を忘れずにいたい。