木島隆幸のアトリエに訪れた時に、彼が帽子デザイナーであることと同時に職人であることを実感させられた。自ら新たな帽子の在り方に挑むとともに、デザイナーたちが求める帽子像を具現化する作り手でもあるからだ。自らの帽子デザインの基軸と職人としての働き方、職人を育成することについて聞いた。
(小笠原拓郎編集委員、ポートレートとアトリエの写真は南部菜穂子写す)
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小笠原 初めて木島さんを知ったのは30年近く前の南青山のスペースっていうセレクトショップでのことです。
木島 めっちゃ古いですね。超初期の初期ですね。僕が独立して「クール」を始めたのが28~29年前。そこから2、3年後に取り扱ってくれた最初の店の一つがスペースです。その頃はインポートの時代でしたし、ドメスティックがまだまだだぞって時代でした。ブランド名を「キジマタカユキ」に変えたのが10年前。理由は単純に海外進出のためです。世界で商標権をとるために自分の名前に変えて、パリで展示会も始めました。
小笠原 アパレル、デザイナーから依頼されてダブルネームで帽子を作っています。その出発点は。
木島 うちに依頼してくるアパレルさんは「何やったらいいんですか」とか「おすすめありますか」っていうノリからスタートするところもあります。だから僕も先方のブランドの雰囲気やデザイナーの趣向をある程度分かっていないと提案できない。そういうところは面白いかな。
出発点はデザイナーによりけりです。明確に絵を描いてくる場合は、じゃあ材料を提案してくださいって話を詰めていく。(渡辺)淳弥さんのように、うちのアトリエのコンクリートの壁を指して「あんなイメージ」って言われたこともありました。ジョニオ(高橋盾)くんもそういう風に、言葉だけで言ってきてサンプルを作ったことがありましたね。
小笠原 帽子のデザインって歴史的にもう決まっちゃってるところがありますね。
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