これからのデザインとビジネスのあり方①

2017/06/17 06:30 更新


 4月26~28日、東京ビックサイトで開催されたJFW-インターナショナル・ファッションフェアMAGIC・JAPAN(JFW-IFF・MAGIC)内にて、「デザインとビジネスの今後を考える」をテーマにセミナーが行われました。今話題のデザイナーが語ったセミナーの内容を要約してご紹介します。

 今回は、セレクトショップや百貨店での売れ行きが好調な「アキラ・ナカ」のデザイナー、ナカアキラ氏にご登壇いただき、繊研新聞社の小笠原拓郎編集委員とともに、売り方、作り方、流通、デザイナーの仕事など、デザインとビジネスの今後について多角的にディスカッションして頂きました。

【登壇者】

  • 「アキラ・ナカ」クリエイティブディレクター ナカアキラ氏
  • 繊研新聞社 小笠原拓郎編集委員


ビジネスを回すことでデザインが成り立っている

小笠原:ビジネスが非常に好調だということで、今回はクリエイションのことだけでなくビジネスのことをお聞きしたいと思います。

 まず初めに、僕が2008年にコムデギャルソンの川久保さんにロングインタビューした際に、川久保さんが「これからのデザイナーはただ服を漫然とデザインしていればいいわけじゃない。『ビジネス』をデザインすること。私は『コムデギャルソン』という会社をデザインしている」と仰っていたのですが、デザイナーがビジネスのことをどう考える必要がありますか?

ナカアキラ:僕はビジネスを回すことでデザインが成り立っていると思います。僕も学生時代や初期の頃は、良いデザインをすれば、その商品が売れてビジネスになるだろうと思っていました。しかしビジネスには、デザインとは違うクリエイションが必要だと感じるようになりました。川久保さんもそういうことを仰られているのだと思います。「良いデザインが生まれれば、おのずと良いビジネスになっていく」というロジックは、今は通用しないんじゃないでしょうか。


「アキラ・ナカ」17~18年秋冬より

小笠原:2009年に東京コレクションデビューされましたが、現在はショーはされていませんね。何シーズンでやめたのですか?またやめる決断をした背景を教えてください。

ナカアキラ:ショーは4シーズンぐらいでやめました。僕が通っていたアントワープ王立芸術アカデミーはたくさんのデザイナーを輩出していて、在学していた頃はベルンハルト・ウィルヘルムやヴェロニク・ブランキーノなどの卒業生がパリで輝いているのを見ていました。なので、僕も自然と「卒業したらブランドを立ち上げて、ショーをするものだ」と思ってやっていました。ですが、実際にショーをしていくにはモデルフィー(モデルへの報酬)や会場費、スタイリスト費など様々な面でお金がかかります。「ショーをやめた」と言われたくないからショーを続けて、ショーの為にお金を稼ぐ、といった様に同じところをずっとループしているような感覚でした。

 僕はブランドって徐々にステップアップしていくものだと思ってましたが、自分のクリエイションが次のステージにいくには、チャレンジする力が生まれないとステップアップしていかないのではないかと感じていました。


 例えばショーをメディアで取り上げてもらうには、12~13ルック程度は用意しないと取材をしてもらえません。その数のルックをつくるなら、もっとコレクションの広がりや成長に資本を投入していこうと思いました。僕の中で「絶対にショーをやっていこう」という気持ちは薄かったので、ショーをやめる事に抵抗はなかったです。その分新たな魅力を出して、展示会でじっくり見てもらえたらいいかなと思い、違う道を探し始めました。

小笠原:その当時の売上の規模はどのくらいでしたか?

ナカアキラ:下代で2000万円弱くらいです。通年で1千数百万円ほどでした。


小笠原:ショーをやめる選択をして考え方も変わったと思いますが、ビジネスとしてどこに注力しようと思ったのですか?

ナカアキラ:ちょうどショーをやめる時期に東日本大震災が起きました。日本が皆で一致団結して復興しようとしているのを見て、自分もデザイナーとして何か社会貢献をしたいと思いました。その当時の取引先を見てみると、ベルギー、アメリカ、ロンドン、香港など海外が多かったので、もっと日本の女性に向けて、デイリーに着れて、グッと気持ちが上がる服を作りたいと思いました。

小笠原:それ以前にショーで見せていたものは、日本の女性にとってはあまりリアルではなかったのですか?

ナカアキラ:僕の中ではリアルでしたが、ニーズが多いのは海外でした。以前はアントワープで学んだものを打ち出そうとか、自分はこれができるからこれを作ろうという考えでしたが、このころから社会にどんなものが求められていて、それを自分のクリエイションでどう解決するかという考え方に変えました。


「売ること」への意識の変化


小笠原:コレクションデビューした2009年から売上は15倍程になっていますね。お店との関係など、ビジネスを作っていく上で考えていたことはありますか?

ナカアキラ:とにかく人を育てようと思いました。「ドリス・ヴァン・ノッテン」とか「ラフ・シモンズ」などのブランドは、チームワークがすごく良いんです。全員がひとつのビジョンに向かって動いているのを見て、僕も「人を育てよう」と思い、まずインターンシップとして、自分でプレタポルテとかインディペンデントレーベルを築きたいと思っている子を募集しました。ヨーロッパだとインターンシップといっても雑務が多いんですが、それだといつかは彼女たちは出ていくだろうし、ギブ&テイクにならないと考えてとにかくデザインをさせました。

 彼女たちが実際にデザインを書けるようになるのに2~3年かかりましたが、毎日毎日書かせました。デザインの軸が僕1本ではなく、ヨーロッパのように、数人の価値観の中から多面的にデザインを捉えるシステムを作らなくちゃいけないと思ったからです。

小笠原:クリエイション側のチームを作ったということですか?

ナカアキラ:はい。人が増えればそれだけコンセプトやターゲットを多面的かつ柔軟に考えられると思います。もちろん僕がディレクターなので最終判断をするんですけど、それが5人の中から絞り出されたものと、僕ひとりで絞り出したものとでは“厚み”が違ってくると思いました。だからこそ、そこに注力しました。

小笠原:人を雇うということはそれなりにお金も発生しますよね?

ナカアキラ:そうですね。最初は金銭面でもみんなに耐えてもらいました。

 アントワープでは「セールスとかは関係ない」という教育で、それよりも「あなたのクリエイションがどれだけピュアでオリジナリティーがあってイノベーティブかが大事だ」と叩き込まれていました。それも正しいと思いますが、僕はクリエイティブとリアリティーが両立できる隙間があると信じていて、その2つの接点は絶対あると思っていました。ただ売れる服や、ただ珍しい服を作るのは簡単だと思っていて、売れるけど何か新しいムーブや気持ちもあるという接点を諦めたくなかった。クリエーターからすると数字の話ばかりする人は嫌われるんですけど、僕の作った洋服を着て何か感じてくれるということは、購入者の人数と同じだけ共感したということだと思っていて、それは僕がデザイナーとして求めていることでした。そう思い始めた辺りから、売るという事に対する意識が変わりました。もっといろんな人に着てもらってこの想いを共感したいなと。なので、その思いに向けて投資していこうと思いました。そこでまずチームを作ることを考えて、インターンシップでアルバイトと掛け持ちしていたスタッフ達を社員にして、社員の数を増やしていきました。

(続く)


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