コロナ禍で行けなかった香港に4年半ぶりに出張した。前回の出張は反政府デモが起きている最中で、会社からは「外出するな」と言われていたが、歴史的瞬間に現地にいてホテルでじっとしている新聞記者などいないだろう。当時を振り返りながら、香港がどう変化したのかを紹介する。
(大阪編集部=高田淳史)
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前に進めない
19年の夏。香港に着いた日曜日、若者を中心に多くの人たちが香港島・ビクトリアパークを目指してデモ行進していた。その日は大雨。シュプレヒコールを挙げながら前に進もうとするが道路は人であふれかえり、遅々として進まない。
結局ビクトリアパークにはたどり着かず、途中で引き返したが、それでも地下鉄の駅や構内も人であふれ、ホテルに帰るにも難儀した。あの時の香港の人たちの熱量、パワーはすさまじかった。
その後20年に、「香港国家安全維持法」(国安法)が香港政府ではなく、中国政府により施行されて状況が一変した。逮捕者が続出し、反政府運動は封じ込められ、政治的な発言がはばかられるようになっていった。