「自分の中でアパレルの限界を感じ、行き詰まっていた」と子供服F・O・インターナショナルの池本大祐経営企画部経営企画室次長は振り返る。ゼロをイチに変える力を買われ、新業態の開発や主幹ブランド「ブリーズ」の企画に携わってきた。しかし、新業態はコロナ禍で撤退、ブリーズも前年踏襲から抜け出せず苦しさが続いていた。アパレルだけでは戦えないが、かといって生活雑貨などの生産背景は分からない。そもそも、アパレルを企画しながら他に目を向ける余裕などなかった。
そんななか、20年10月に経営企画部に異動になった。小野行由社長(現会長)、秦英貴常務取締役(現社長)の直轄で、新規開発の専任に選ばれた。机も2人に近くなり、他の社員もいる前でオープンな議論が日々交わされた。経営陣が本気で新規開発に取り組む姿勢を全社員に見せることで、新しいことにチャレンジしていいんだという風潮を作る狙いがあった。
しかし、「初めはみんな、何を言ってるんだろうという感じだったと思う」と池本さん。3人で展示会を巡ったり、玩具業界の外部顧問と策を練りながらも「自分だけがやっている感覚だった」と言う。
鍋谷将志MD課課長は、池本さんらの様子に関心を示していた。もともとアパレルの常識に捉われない発想で、様々な企画を発案してきた。ある時、池本さんらが新商品を探すため展示会に行くと聞き、自ら手を上げて同行した。そこで見つけたのがPCM(相変化物質)素材のネッククーラー。現場からは「高い」「売れるのか」と反対意見が相次いだが、秦常務は「とりあえずチャレンジしてみたら」とゴーサインを出した。
21年6月にアイスリング、7月にキッズコスメ、10月からはおもちゃを販売した。これまで売ったことのない商品に現場は戸惑い、「売ってやろうという雰囲気ではなかった」(鍋谷さん)。しかし、秦常務が半ば強引に店に入れていった。するとアイスリングは数日で即完売、キッズコスメは第1弾で5万個を売り上げ、社内の重い雰囲気が次第に晴れていく。
現場からもアイデアが生まれ始め、オリジナルキャラクターを開発したり、アウトドアブランドと協業商品を作ったり。池本さんや鍋谷さんにも「これできませんか?」と様々な立場の社員からアイデアが舞い込むようになった。販売スタッフも意欲的で「初めはどう売ってもらうかに苦労したが、今は各店にどう配分するかに頭を悩ませる状態」と池本さんは笑う。チャレンジのかいがあり、会社は黒字化。同社の次の一手に注目が集まるほど、存在感を高めている。