営業利益率10%はもう実現できないのか
欧州のファッションブランドによる在庫の焼却問題がニュースになって以来、様々な媒体でアパレル業界についての記事を目にする様になった。過去25年で国内アパレル市場は40%縮小した一方、供給量は増加の一途をたどり、余剰在庫は14億点に及ぶという。
近年、ESG(環境、社会、ガバナンス)という言葉が政府高官や国内外の財界人、ならびに企業の株主である機関投資家の間で急速に広がってきている。経営や投資の意思決定において、環境やサステイナビリティ(持続可能性)が最重要判断基準のひとつとなってきたということだ。アパレル業界の余剰在庫や廃棄・焼却問題は、こうした世界的なESG重視の潮流から逆行する動きとして、大きな風圧を受け始めている。
しかし、アパレル業界において、好んで値引きや廃棄をする企業はいない。縮小する国内アパレル市場において、供給量が増加し続けた結果、市場全体としての需給バランスが崩れ、供給過多な業界構造に陥った。結果、業界全体のプロパー消化率は50%水準にまで落ち込み、バブル期における高収益体制から大きく後退した。プロパー消化率で世界最高を誇るザラの収益構造と、日系アパレルの数値を比較してみよう。
ザラのプロパー消化率が80%水準である一方、日系アパレルでは50%水準となり、約30ポイントの乖離が発生している。本業の収益力を示す営業利益率においては、インディテックスが開示するザラ単体の業績が18%である一方、日系アパレルは約0~3%程度にとどまり、約15~18ポイントの乖離となっている。これを比較・分析すると、収益構造差のからくりが見えてくる。プロパー消化率30ポイント分の差に対し、定価販売できなかった商品の平均値引率約50%を乗算すると15ポイントとなり、ザラと日系アパレルの営業利益率差のほぼ全てが、プロパー消化率の実力差で説明できるのである。
事業収益性を定義する事業KPI(最重要経営指標)は多数存在する。原価率、生産効率、商品ライフサイクル、EC比率、インバウンド(訪日外国人)比率などの経営指標は、いずれもアパレル事業の業績を規定する数値としては重要である。しかし、現在のアパレル業界においては、事業の基本に立ち返ったプロパー消化率の改善が、個別企業や業界全体を回復する上での最重要経営課題であることが再認識できるであろう。
感性のアパレル業界にAI・IoTをどうもたらすか
ファッションポケットを創業してから、1年の月日が経とうとしている。その間、100名を超えるアパレルのトップ経営者の方々とお会いしてきた。AI(人工知能)技術に対して早期に取り組みを決める経営者はその約1~2割、採用を緩やかに検討する(ないし、その後採用を決める)経営者は約3~4割で、半数の経営者はAI活用を長期的な取り組みとしてお考えになるという結果であった。
当社よりも数年も前からAIサービスを開発してきた企業が複数存在していたにも関わらず、業界においてのAIの認知度は未だ限定的である、との印象を持った。
ファッションポケットは小売業やディベロッパー、鉄道事業者などに対するサービスも展開している。一つひとつの企業規模が大きいことや、アパレル企業に比べて収益性が高いことも原因ではあるが、他業界においてはAI・IoT(モノのインターネット)投資が、飛躍的に進んできていることを実感した。
人の感性に直接的に訴えかけるアパレル事業においては、こうしたデジタル活用への距離があったことは理解できる。実際、先ほど例に挙げたザラですら、1万人のリサーチャーが世界各地の消費者の着用洋服アイテムを人力で調べ上げ、手作業にてトレンドビッグデータを作成していると言われている。しかし、1万人のリサーチャーを配置する資金力を持たない企業では、どの様に効率的に正しいトレンド情報を把握をするべきであろうか。AIを用いることで、ザラと同様か、それをはるかに上回るのリサーチをリアルタイムで実行し、プロパー消化率80%を目指す取り組みが極めて重要になってきている。
AIを用いた需要予測「AI MD」とは
ファッションポケットでは、AIを用いた画像や映像の検知・解析技術を独自に開発した。これにより、世界各地のSNSやファッションサイトにおける消費者画像2500万枚を解析し、着用するアイテム名、色や柄、丈やシルエット等の詳細ファッション情報をビッグデータとして保有している。このビッグデータを時系列で解析・表示することで、世界初のアパレル需要予測サービス「AI MD」を企業に提供している。
主に大企業向けのフルビッグデータ搭載システム「AI MD PRO」においては、解析した全てのビッグデータをリアルタイムでフルに閲覧することができ、トレンドアイテムの柄や色彩のクロス集計に加え、シルエットなどの詳細についても情報を提供している。さらに、各企業の要望に合わせたカスタマイズ開発も実施している。
これに加えて11月1日より、「AI MD BASIC」を中小事業者向けのトレンド配信レポートサービスとして、新規に提供開始した。BASICサービスにおいては、3種類のトレンド情報(色、柄、アイテム)を年8回(梅春・春・初夏・盛夏・晩夏・初秋・秋・冬)、電子レポート形式で発刊する。「AI MD PRO」の中からトレンド情報を抜粋してご提供することで、不要な値引きや廃棄の縮減に多少なりともご活用いただけるのではないかと考えている。
「AI MD」において実際に分析されているトレンド解析の事例を示す。アイテムトレンド分析においては、詳細な商品カテゴリーごとにトレンドの上昇・下落を定量的に分析する。例えば、2018年よりワンピースの大幅なヒットとオールインワンへのシフトが進んだ一方、これまで上昇を続けていたブラウスの着用数は頭打ちとなり、カラーシャツなどの商品は大きくトレンドから外れる結果となっている。
一方、洋服アイテムの柄トレンドにおいては、18年のドットとチェックの爆発的ヒットの一方、これまで人気上昇を続けていた花柄アイテムが敬遠される結果となった。カラートレンドにおいては、パープルやブラウン・ベージュ系へのシフトが進む一方、ブルーの人気下落が継続し、ファミリーセール常連色として今、問題視されている。
「AI MD」の仕組みは極めてシンプルである。ザラが1万人のリサーチャーによる人力で収集している情報を、数人の人間と数十台のスーパーコンピュータのみで調査するというものだ。AIの最大の強みは、一度アルゴリズムを構築すると、どのスーパーコンピュータで処理しても、人力で集める数万倍の量のデータを数千時間連続にて作業し続けさせても、粛々と同じ効率で正しく分析をし続けることができるという点だ。
また、「AI MD」のサービスは、特定の提携ブランドのPOS(販売時点情報管理)データを解析するというものではない。特定ブランドにおけるヒット要因は、投入したアイテム数、アイテムごとの投入数量や価格帯、店頭でのVMDなどにおける個別ブランドの事情を色濃く反映しまうからである。一方、「AI MD」においては、実際の消費者のトレンドを絶対的に分析することで、特定のブランドに依存しない、市場全体のトレンドを正確に把握することができるのである。
VMDや接客における店舗や店員のバラツキをどう抑制するか
プロパー消化率を向上させる施策はMD改革のみではない。せっかく投入した商品をどの様にお客様の目に留め、試着、購入していただくか。その枠組みにおいては、トレンドを強く意識したVMDの設計や、ショップ店員によるトレンド商品のレコメンド精度の向上が挙げられる。特に、ショップ店員の在職期間が短期化する中、若手店員の育成が課題になってきている。接客時間をいかに確保するか、また、短い接客時間の中でいかに消費者それぞれに合ったトレンドアイテムをお勧めすることができるか。
「AI MD」においては、現在足元で流行しているアイテムのライブ情報もリアルタイムで閲覧することができる。コーデ情報としての組み合わせデータも多数存在し、例えばベージュのワイドパンツを履いている消費者にどの様なトップスをすすめるべきか、どの様なアウターを合わせると良いか、といった最新情報がデータベース化されており、日々更新される。こうした最新トレンドの取り込みは、店舗におけるプロパー消化率の向上に確実に寄与する。
ファッションポケットでは現在、ショッピングモール運営や都市開発のプロジェクトにおける消費者解析事業が拡大しつつある。プロパー消化率の向上においては、トレンドを取り込んだ消費者の購入確率向上のみならず、ショッピングモールにおけるテナントへの消費者誘導の促進が欠かせないからである。
モール内の消費者の年齢や性別、着用洋服アイテムの分析等を通じて、各ブランドやテナントが対象とする消費者を実際に店舗誘致できているかを分析し、できていない場合は誘致施策を実施している。
AIは完璧ではない人力がもたらす価値
これまで、「AI MD」を用いたMD改革、VMD改革、接客の向上、モールにおける消費者のテナント誘致について論じた。「AI MD」を用いることで、多面的なプロパー消化率向上施策の実施が可能であることをご理解いただけただろう。
最近、アパレル企業の経営者と議論をしていると、「全ブランドがファッションポケットのトレンド情報を参照すると、商品ラインナップが均質化しないか」というご質問をしばしばお受けする。このご質問は、ある意味で的を得ている一方、逆手に取った戦略の自由度が大きいことにも気づかされる。
「AI MD」の最大の狙いは、トレンドを大きく外すことによる余剰在庫の廃棄や値引きを抑制することで、プロパー消化率を押し上げることであることは、これまでに説明した。こうした考えに沿えば、非トレンドのカラーや柄、アイテムの過剰な店舗投入を回避するという意味においては、商品ラインアップが均質化することは望ましいと考える。
逆に、トレンド商品のラインアップ戦略においては、「AI MD」の解析結果の活用用途は各社異なってくると考えている。トレンド色や柄、アイテムが明確になった時、どの様に企画をすることが消費者価値の創造に最も効果的であろうか?。他社がやってこない配色を敢えて入れてみることで自社ブランドの姿を消費者に訴える、「AI MD」で不確定性が高いと判定しているアイテムを敢えて投入してハイリスク・ハイリターンを狙う、同じ色彩のアイテムにおいても素材の差を追求する、など戦略は多岐に渡る。
消費者にとっても、こうしたアパレル企業の相違工夫は、ライフスタイルを豊かにするための付加価値となる。非トレンドアイテムが減り、より独創的なトレンドアイテムが店頭に並ぶからである。またその中で、ショップ店員一人ひとりのトレンド理解度も高まり、消費者それぞれが新しいファッションアイテムとの出会う機会がいっそう増えていくからである。
AIやIoT技術を活用する際にひとつだけ気を付けるべきことがある。AIは伝家の宝刀ではないという点である。AIを用いるとプロパー消化率が100%になるのか?といった質問を時々受ける。答えはNOである。グーグルによる世界最高水準の自動運転車の実験がシリコンバレーで実施されている。今でも人身事故のニュースが時々報道されるが、これはAI技術の限界を象徴している。
こうした新技術と正しく向き合い、事業改革を実現する時に最も重要となることは、明確かつ実現可能な目標を立てることにある。プロパー消化率を10%ポイント向上させる、などのターゲットを設定し、実際に商品導入をして効果を測定する。こうした継続的な取り組みが重要となってくる。
ザラの収益率を実現することは、一朝一夕にはできない。MD担当者やデザイナー、商品部における改革的なリーダーシップに加え、店舗における店員の育成、モール全体におけるIoT化などの複合的な取り組みが今、アパレル業界の再興に求められている。AIとどの様に向き合い、どの様に投資を仕掛けるか。経営者の腕が問われている。
しげまつ・ろい ファッションポケット代表取締役社長。東京大学大学院修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社、独フランクフルト支社、米シカゴ支社を経て、2016年に同社パートナー(共同経営者)に就任。AI・IoTをグローバルでリードし、多様な産業のAI活用と事業化を支援。ファッションポケットを起業後、ファッショントレンド予測とMDの最適化、小売店舗・商業施設・都市開発におけるIoT・デジタル化など、多岐に渡るAIサービスを展開。