おちあい・ひろみち 77年東京都生まれ。99年文化服装学院卒。07年に「ファセッタズム」をスタートし、メルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク東京12年春夏でショーデビューした。
12年春夏にショーデビューし、あっという間に東京の今を代表するブランドになった。伊ヴォーグ誌編集者が15~16年秋冬のショーを目に留め、アルマーニの若手デザイナー支援プログラムに推薦。それを受け、15年6月にミラノのメンズコレクションにデビューした。
ミラノに続き、10月12日19時に東京でも16年春夏物のショーをする。東京ファッションのシンデレラボーイとも言える存在だが、それは挑戦し続けるクリエーションが引き寄せたもの。今まさに、世界に向けて羽ばたこうとしている。
前回のショーが、僕らのターニングポイントになった
――東京でのショーに込める思いは。
「ラブ」をテーマにした前回(15~16年秋冬)のショーをきっかけに、世界に出ることができました。5年後10年後になっても、あのショーは僕らのターニングポイントだと言えると思う。あれ以上の数のお客さんは入れられないし、今後また同じことをしてもしょうがない。
そう感じていた中で、ミラノでの発表の話がきました。ただ、ミラノはメンズのみの発表で、レディスは見せていません。レディスもやって、16年春夏の一つのコレクションを終わらせてから次に進みたいと思ったんです。
今まで8回東コレをやらせてもらいました。お客さんも来るようになっているし、東コレは多分良くなっていると思う。でも、僕らがその中で同じコトをしていてもしょうがない。僕らは東コレに育ててもらったから、次のステップに向かうための意思表明をしたい。それで東京でショーをすることにしました。
それが、僕らが純粋に好きなモードの使命だと思う。これまで目指してきた大規模なショーの次の形として、コンパクトでシンプルだけど、純粋に強さを求めたショーをやろうと考えています。
僕らは本当はもっとすごいってことを世界に見せたい
――ミラノで何を得たのか。
「東京は世界から注目されている」って常に言われて、僕も調子に乗ってたけど、世界に出たら全くそんなことは無いって実感しました。今までは見ていた世界が狭かったと思う。海外から見たら東京もシンガポールもソウルも一緒で、「東京?何があるの?」っていうレベル。
そんな中で、僕らはラッキーにもアルマーニさんに声を掛けていただいて、通常の新人ブランドのショーには来ない数のメディアに取り上げてもらえた。海外の卸先軒数も伸びました。準備期間が1カ月しかなくてすごく辛かったけど、チーム全員が純粋に服が好きだからやれたんだと思う。
僕らや他の日本のブランドには世界を驚かせる実力はあると思うから、他とは違うということををちゃんと見せないといけない。そういう意味で、次への意思表明をしないといけないと思ったというのもあります。
僕はたまたまミラノに行けたから、この経験を伝えなきゃと思ったし、このままじゃ終われない。準備不足で消化不良だった部分ももちろんあります。だから、これで評価されるなら、本当はまだもっとすごいよっていうことを見せたい。そういう意気込みで臨む東コレです。
“モードじゃないモード”を生み出せるという手応えがある
――ストリートとモードのミックス、その振れ幅がブランドの顔になっている。海外に出て、改めてそうした自身の強みをどう捉えたか。
僕たちは、僕たちの憧れであったり、目標としているモードに向かうために動いていて、その中でリアルなもの、必要なものを常に取り入れています。その部分をストリートと言ってもらっている。
ストリートは自分たちの背景にあるものだから、僕らが作っていく服の中には絶対出てくるし、特に意識はしていないけれど大切にしている部分ではある。
海外の卸先はいわゆるモードのお店です。でも、日本のブランドが海外に行くと、まだストリートっていうカテゴリーで呼ばれる。なかなかモードとは呼ばれません。一方で、「オフホワイト」や「ピガール」など、日本のブランドの感覚を見ている欧州のブランドはモードと呼ばれています。
だったら、何かを真似することなく、オリジナルな感覚を追求できる僕らが純粋に海外で闘っていけば、新しいものを生めるんじゃないかと思うんです。モードという名前じゃない新しいスタイル、モードじゃないモードです。それを生めるっていう期待があるし、手応えも感じている。
良くも悪くも日本は島国で、宗教観も殆ど無い。差別で石を投げられた経験もありません。そんな僕らだからこそできる、自由な表現があると思う。ミラノのショーでは黒人モデルを6人起用しました。
通常、海外コレクションのモデルは8~9割が白人で、残りがアジア人と黒人です。(慣習やタブーを超えることで)人を悲しませるようなことは絶対にしたくないんだけれど、でも、東京の僕らならそういうタブーとも闘える。そういうことを、ちゃんと意思を持って表現していければと思っています。
どこまで自由にやれるかと、どこまで王道から外れないか
――世界標準のブランドになっていくためのスタート地点には立った。今後は。
16~17年秋冬以降も、何らかの形で海外で発表はしていきたいと考えています。方法は色々あると思う。たとえば、「ヴェットモン」や「ゴシャ・ラブチンスキー」がパリのセックスショップや小学校の体育館でショーをしています。その感覚は僕らにとってありがたい。
東京の僕らが、そんな風にメーンステージ以外の場所でショーをしたとしても、マルジェラが意外な場所でショーを行っていた頃のように、受け入れられる土台があるんじゃないかと思って。
どこまで自由にやれるかと同時に、どこまで王道から外れないかっていうところをやりたいと思っています。ちゃんとしたステータスの中で外れたことをやって、それを王道に持っていくっていうやり方を、東コレでもやってきましたから。
自分は自分のスタイルを信じてやってきました。それが段々形になって、他のブランドと差別化され始めていると思う。あとは縫製も含めて、クオリティーなどのデザイン以外の部分で、服作りの完成度を高めていかないとと感じています。インディペンデントでやっていますが、より強いブランドに変わらなきゃいけない。
今回のファッション・ウィーク中の10月17日には、アトリエそばの東京・神宮前に直営店もオープンします。海外からも求められる機会が増えた中で、自分たちが今ある立場をしっかり理解した上で、次に進むことがすごく大切です。
そういう面でも、お店をオープンできるのはすごくいい。近頃、神宮前地域があまり盛り上がっていないように感じるから、それを盛り上げたい。
僕らの次の行動に期待してもらいたい
――ショーデビューから約4年でここまできた。目指すブランドの形は。
初めてショーをしたのが12年のこと。そんなに昔じゃありません。頑張ったんですよ、意外に(笑)。当時は本当に無名だったし、よく皆さん信じてくれたなと思う。
僕は「グリーン」のラストショーを見て、ショーを絶対やろうって決めました。それを色んな人に話したら、同じチームでショーができた。ファッションを目指す中で、かつて自分が好きだと思ったことや感動したことを、人に恵まれて僕自身実現することができました。
色んな部分で思いを口に出して良かった。それが10回目のショーである今回につながっているんだと思う。(若いデザイナーなどにも)それを伝えていきたいし、僕らの次の行動に期待してもらいたい。
一つひとつ目標があって、それに向かって進んでいるので、ブランドが目指す形は最後まで分からないというのが正直なところ。考えていたことと180度違う答えが僕には舞い降りてくるから、あまり考えないようにしています。
今回のミラノの話もそうですが、純粋に好きなことをやっていたら、全く違うところから波がくる。それに柔軟に対応できるのが自分やブランドの力だと思います。常に新しいチャレンジをすることが好きだから、予想外の大波がきても挑戦して、そこから新しい感覚が生まれていく。このブランドがどう成長していくかは、自分でも分かりません。