設楽洋社長が語ったビームスの未来 「日本はスーパーブランドになれる」

2026/04/13 06:30 更新有料会員限定NEW!


次の50年で「日本にはビームスがあることを世界に知らせたい」と語った設楽社長

 ビームスは3月2日、創業の地である原宿で「50周年記念事業」に関する発表会を行った。設楽洋社長は、これまでの歩みを振り返り、次の50年で何を目指すか、語った。3月の記事では収容しきれなかった内容を公開する。

(柏木均之=本社編集部)

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小さな店で壮大な夢を

 1976年、ビームス1号店を出した原宿のビルには1階と2階に4軒ずつ店が入居していて、我々は1階、左奥の6.5坪を借りた。3坪がストックルームで売り場は3.5坪。7畳の店からスタートした。

 1960年代、若者の文化・風俗は夜の世界から生まれた。夜の赤坂や六本木に文化人や横文字商売の人達、遊び人が集まり、そこから新しい何かが始まった。75年にベトナム戦争が終わり、学生運動も終わると、昼の世界に移っていった。

 文化人や遊び人は原宿のセントラルアパートにあった喫茶店「レオン」に集まるようになった。VANとコカコーラで初めてアメリカのファッションやカルチャーに触れた若者は60年代後半にヒッピー文化にハマり、70年代はスケボーやサーフィンで遊び、アメリカ西海岸のライフスタイルに傾倒していった。

 当時は情報誌もインターネットもなく、若い人はモノと情報に飢えていた。訳知りの人に尋ね、横須賀やアメ横、福生で探しても西海岸風のライフスタイルをかなえる服や靴は見つからなかった。なら自分たちでやろう、が出発点になった。

 1号店はオープンから約2年間、店名が「アメリカンライフショップ・ビームス」だった。最初は洋服屋ではなく、アメリカの学生の生活を売る店だった。UCLAの学生の部屋を再現しようと、スケボーのホイールやろうそく立てやネズミ捕り、そのほかにTシャツやジーンズを置いた。

 後にセレクトショップと呼ばれるようになるまで、インポート型の品揃え店と呼ばれていたビームスは6.5坪の小さな店から「若者の文化・風俗を変えるんだ」と、ずいぶんと壮大な夢を掲げた。

日本にはビームスがある

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