イオンモールの社長などを歴任した村上教行さんが亡くなった。
初めてお会いしたのは90年代のこと。村上さんは当時のジャスコでメンズの商品部長を務められていた。こちらは駆け出しだったが、気さくな人柄と分かりやすいお話に助けられたことを覚えている。その後、食品全体の責任者を経てイオンモールへと、大きく役割を変えていったが、その人柄が強みになっていたのは間違いない。
06年のダイヤモンドシティとの合併を成功させ、08年の中国第1号、イオンモール北京国際商城開設の指揮を執るなど、現在のイオンモールの姿かたちを作った。日本ショッピングセンター協会では長く副会長を務められ、大型SCに商業機能だけでなく、地域のコミュニティーとしての価値が認められるようになったことを含め、業界への貢献も大きい。
11年の東日本大震災ではイオンモール社長として大災害に対応したが、自身も宮城・気仙沼の出身で、実家も被害にあっている。被災地への思いは強く、17年まではイオン東北代表として、グループの復興の取り組みに携わっていた。
病を得られてから長かったが、「現場で死ぬなら本望」と売り場で笑っていたことが思い出される。
(光)