ティファニーでカフェオレを(松井孝予)

2014/08/29 14:58 更新



シャンゼリゼ旗艦店のファサード。売場面積は3フロア、976平方メートル  (c) Tiffany & Co.

 

ニューヨーク五番街、早朝。

パールのデコルテが美しい黒いロングドレスを着たスレンダーな女性が、タクシーから現れる。彼女は宝石が飾られたウィンドーを見つめながら、クロワッサン(おそらく)とカフェの朝食をとる。

言うまでもない、「ティファニーで朝食を」(ブレーク・エドワーズ監督1961年作)の冒頭シーンだ。

 伝説的なジバンシイのロングドレスでダイヤモンドをウィンドーショッピングするのは、オードリー・ヘプバーン演じるホリー・ゴライトリー。トルーマン・カポーティ原作 ” Breakfast at Tiffany’s ” は、書籍では仏題で “Petit déjeuner chez Tiffany ” と英語がそのまま仏語に訳されているが、映画の仏題は何かヘンだ。

” Diamants sur canapé ” _ 日本語に直訳すると、「ソファの上にダイヤモンド」。当時の「アメリカン」と「フレンチ」の感覚の違いなのだろうか? 「ダイヤモンド」が「ティファニー」のメトニミー(換喩)なら頷けるが、「ブレックファースト」が「ソファ」に変えられたのはミステリアス、いやおかしくて吹き出してしまう。

 変えられたのは、主演女優もそう。

今では有名な逸話だが、当初、カポーティの友人でもあるマリリン・モンローが起用されたが、結局このセクシー女優と対極にあるヘプバーンにおさまった。

 さてこのティファニーが、シャンゼリゼ大通りに旗艦店を開設した。そして同店のオープンを取材する際、ティファニーを主人公にした米国とフランスの2カ国間のレジェンドを知る幸運に恵まれた。

時は19世紀。

ティファニーは1837年にニューヨークで創業。

1848年 創業者チャールズ・ルイス・ティファニーはフランスの2月革命勃発を利用し、貴族たちからダイヤモンドをはじめ大量の宝飾品を買い取 り、それを米国に持ち帰り、クリスマスシーズンに販売。チャールズは「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれる。

1867年 ティファニーはパリ万博へ出展し、米国メゾンとして初めて賞を獲得。

1868年 パリにブティックを開く。

1877年 ティダニーがフランスの海運会社から購入したラフストーンがパリに運ばれ、パリの宝石細工職人によって128・54カラットのイエローダイヤモンドにカットされる。

1878年 チャールズ・ルイス・ティファニーへ仏レジオンドヌール勲章のシュヴァリエが授与される。

1886年 米国独立100周年を祝いフランスから贈呈された自由の女神像除幕式の招待状のデザインを、ティファニーが手がける。

1887年 フランス王室のクラウンジュエリーが競売にかけられ、ティファニーがその3分の一を487,956ドルで購入。米仏で大きな話題となる。

1889年 エッフェル塔完成とともに開かれたパリ万博で、ティファニーが出展したランのブローチコレクションがいくつものメダルを獲得。その名を世界に広める。

1900年 グランパレで開催されたパリ万博で、ルイス・コンフォート・ティファニーの作品が多数の賞を受賞。そして彼にレジオンドヌールが与えられる。

 19世紀後半、ボードレールの「悪の華」、フロベールの「ボバリー夫人」、ランボーの「地獄の季節」、ユゴーの「ああ無情」などなど、フランス文学史でスキャンダルやセンセーションが渦巻いていただけではなかった。あれこれの歴史の知ることは、とても楽しい。

そして1956年、ティファニーに仏人デザイナーのジーン・シュランバーゼーが入社し、ティファニーのニューヨークとパリの伝説の糸を繋ぐ。

彼は入社後もパリのポンティユ通りに自身のアトリエを構え、エナメルのブレスレット、バード・オン・ア・ロック、フルール・ド・メールの伝説的コレクションをデザイン、顧客リストにはジャクリーヌ・ケネディ・オナシスやエリザベス・テーラーが名を連ねる。

 

 
シュランバーゼーのコレクション  BRACELETS WITH PAVE DIAMONDS IN 18 KARAT GOLD AND PLATINUM (c) Carlton Davis 

 
シュランバーゼーのコレクション  BIRD ON A ROCK BROOCH  (c) Tiffany & Co. 
シュランバーゼーのコレクション  エリザベス・テイラーが所有していたアーカイブ
 FLEUR DE MER CLIP OF DIAMONDS, SAPPHIRES, PLATINUM AND 18 KARAT GOLD  (c) Tiffany & Co.

 

1987年、シュランバーゼーは、パリで死去。パリ装飾芸術美術館はシュランバーゼーへのオマージュとして、1995年に当館初のジュエリーデザイナーの回顧展を開催した。

シャンゼリゼ旗艦店オープニングでお会いした、ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インクのダニエル・ペレル社長が、「米仏間のこのすばらしいティファニーの歴史を伝えることが、私たちの仕事なのです」とお話されていたのを思い出す。

 

 
シャンゼリゼ旗艦店オープンのために一時帰国したティファニーダイヤモンド

 

ペレル社長はフランス人。ニューヨークのティファニー社長、フレデリック・キュメナル氏もフランス人。同氏は来年春、同CEOに昇進される。


 
オープニングパーティーで。キュメナル社長とゲスト

 

「ソファの上にダイヤモンド」のフランス公開から50年後のパリで、ヘプバーンを真似てティファニーのウィンドーを見つめながら、クロワッサンとカフェオレの朝食が夢ではなくなった。

このニューヨーカーメゾンには、ヴァンドーム広場よりシャンゼリゼが似合う。夜なら、クロワッサンの代わりにマカロンとシャンパーニュでもいい。

  1.  
    オープニング当日の夜 コンコルド広場のオベリスクがティファニーブルーにライトアップされた





松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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