アライア展と美味な思い出(松井孝予)

2018/04/03 17:55 更新


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アライアの展覧会「わたしはクチュリエ」

AZZEDINE ALAIA  “ JE SUIS COUTUTIER “ 6月10日まで

ASSOCIATION AZZEDINE ALAIA 

18, rue de la Verrerie 75004 Paris


「あなたのお仕事は?」と尋ねたら、「わたしはクチュリエ」という答えが返ってきたでしょう。でも、それを尋ねたい人、アズディン・アライアは 昨年11月18日、77才でこの世を去ってしまいました。

パリファッションウィークからもファッションシステムからも遠いポジションを貫き通した人物。本当の「クチュリエ」という職業を分かっていた最後の人なのかもしれません。

だから「わたしはクチュリエ」には、その言葉以上に深いものがある、と思うのです。

パリ4区にあるアソシアシオン・アズディン・アライアで6月10日まで、「わたしはクチュリエ」と題したアライアの展覧会が開かれています。

会場入り口にはアライアの言葉が

キュレーションは、ガリエラ美術館の元ディレクター、オリヴィエ・サイヤール氏。アライアと40年来の友人、カルラ・ソッツァーニのパートナーでもあるクリス・ルース氏がセノグラフィーを担当しています。

ここでは、81年のプルミエールコレクションに始まり、特にクチュールコレクションの中から41点を、ひとつひとつを真珠にみたてネックレスのように並べています。

サイヤール氏の右腕として同展を手がけたガエル・マミーヌ氏に、同展会場でお話をお伺いしました。

(同展開催まで)準備期間が1か月半しかありませんでした。「シルエット」から着想を得て、アイコニックで歴史的なピースを、特にクチュールコレクションと81年のプルミエールコレクションから選びました。年代順に展示はしていませんが、みなさんにアズディンの初期のシルエットから鑑賞いていただけるように構成しました。アズディンのカラーである白と黒がシルエットと繋がっていきます。
クチュール 1990年夏
クチュール 2007年冬
クチュール 2017年冬
そしてとても繊細で正確な、アライアの手仕事に光を当てています。アズディンは「クチュリエ」なのですから。クチュリエの仕事は、生地に始まり、それを身体にあてながら、数々のテクニックを習得していきます。柔らかい素材、もしくはレザーを使用したドレープやプリーツ。様々な手段やアプローチによる表現。アズディンの卓越した仕事を見せることに、この展覧会の目的があります。オートクチュールの伝統的な仕事を習得したアズディンは最後のクチュリエと言えるでしょう
昨年亡くなったアズディンへのオマージュ展でもあります。この会場はアライアのコレクション制作の場であり、ショールームやショーも開かれていました。なのでこの親近感のある雰囲気の中でアライアのクリエイションを一般の方々に鑑賞し、彼の別の一面も発見してほしい

展示作品はすべてメゾン・アライアのアーカイブから選ばれています。黒と白のローブの中に1点だけ赤いローブは、リアーナのオーダーピース。作品数が少ないながら、ローマ・ボルゲーゼ美術館、ガリエラでの展覧会で展示されなかった作品や、最後のコレクションも鑑賞することができます。

クチュール リアーナのドレス


エルバズ、アズディンへのオマージュ

昨年末にパリで開かれた「ヴォーグ・ファッションフェスティバル」で久々にトークイベントに顔を見せたアルベール・エルバズ。彼はまず、自身の沈黙の2年間を語る前に、「アズディン、I love you, さみしいよ。あなたは素晴らしいクチュリエだ」とアライアへオマージュを捧げ、エピソードを打ち明けてくれました。

アズディンが亡くなるちょっと前に彼が自宅でのブランチに招待してくれたんだ。彼自身がサラダを作ってくれた、チキンをぐるぐる回しながらローストしてくれた、そしてお皿を取ってお料理を分けてくれたんだ
ドクター嫌いのアズディン。たまたまテレビで名医のルポルタージュを見た彼が、そこで紹介されたドクターと予約を取ろうと電話をしたところ、「1か月半待ち」との返事。でも「アズディン・アライアです」と名前を告げた途端、翌日の予約が取れてしまった。さて実際アズディンがクリニックに行ったところ、待合室には女性ばかり。不思議に思ったアズディンがクリニックの看板を確かめてみると… そこは婦人科だった! ドクターはアライアの大ファンの自分の奥さんのために予約を受け、「アライアをゲットした」と大喜び

とまあ、なんて可愛い逸話。

アライアのお料理上手は有名でいたが、その「料理伝」はいつの頃からあるのか。

Guillemette Faure ギユメット・フォールというジャーナリストの著書、セレブたちのディナー話を集めた" Diner en ville, mode l'emploi / 外食、その使用法 " という本を読んでいたら、アライアのキュイジーヌ(台所)についての一文を見つけました。

それによるとアライアがキャリアをスタートさせた80年代、当時パリ7区ベルシャス通りにあった彼のアトリエのキュイジーヌには、グレース・ジョーンズ、アンドレ・プットマン、ジャン=ポール・グード、パトリック・モディアノ(2014年にノーベル文学賞を受賞した仏人作家)など豪華な顔ぶれが行き来していたという(つまり食べに来ていた)。

この様子を『ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』誌のジャーナリスト、ファブリス・ペノーが、「アライアのキュイジーヌは彼のアトリエ。彼はそこで仕事をし、人を迎える」と書いていました。

アライアは指から素晴らしいドレスを生み出し、それだけではない、美味しいお料理(残念ながら食べたことがないが)で友人たちを幸せで満たしていたのですね。

どちらも愛情がなければできないこと。

愛すべきアズディン・アライア!




松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。

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