森島純嗣、再始動(古川富雄)

2014/12/25 14:08 更新


ついに、あの森島純嗣が動き出した。それも猛烈なスピードとパワーで。

 

 

 

11月28 日付で自ら創業し、さまざまな話題を提供してきた遊心クリエイションの代表取締役を退任した。20代で遊心クリエイションを創業し、現在41歳。しばらくはゆっくり休もうと考えたが、そうはならないのが彼らしいところ。ビジネスプランが次々と湧き上がってくる(詳しくは繊研新聞12月25日付け1面を参照)。

15年3月、ホールディングカンパニー、アンドコーホールディングスを設立、同時に自ら手掛ける事業会社ネイビーアンドコーもスタート。オシャレなテナントビル「ブロッケンハウス」、小豆島でのホテルリゾートや宅地開発、クロコダイル製品の企画販売・輸出、モーターサイクルビジネスなどなど、具体化している事業も多い。


ブロッケンハウスのパース

 

彼の過去をちょっと振り返ってみる。「中学校の学業すらままならないまま」(本人)社会に出て、反骨精神を頼りにまい進。初めてアパレル産業に関わったのが、10代で入社したボーラララ。採用してくれるのは、アパレルしかなかった。

ルシェルブルー、オリゾンティを経て、00年遊心クリエイションを創業。「マスキュロ」など独特の雰囲気を持つブランドで人気を得て、卸、OEM、直営店を広げた。雑貨ブランド「コブラ」の立ち上げ、マクスデパートメントストア、日本初ファストファッション「イーブス」、最近の低価格雑貨「ASOKO」と、続く。



ASOKO


マクスデパートメントストア 


いずれも時代を先取りすることで話題を集め、自らの存在感を高めていくという手法が際立っていた。ただ、事業を継続するという点で厳しさも味わってきた。

彼は節々で「そんなのできるの」という目標をオープンにしてきた。創業間もないころ、「年商300億やりますよ」と公言。「びっくりするほど安くてかっこいいブランド出します」など、すべて達成したわけではないが、言ったことはやるという姿勢はいつも明確だった。

古い取材資料をひっくり返すと、「35歳には引退したい。やりたいことがいっぱいあるから」と9年前に言っていた。今回の第二創業は、その言葉を裏付けるようなもの。社名にすべて「アンドコー」とつけたのは、志を同じくするベンチャー心のある経営者と手を組んでいこうという表れ。

新しいフィールドで、どんな風を吹かすのか、楽しみが増えた。



古川富雄 大阪支社編集部長が、関西のファッションビジネス情報の周辺、裏を紹介



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