大阪と奈良を結ぶ道はいくつかあるが、二上山の南を抜ける竹内街道の趣は格別だ。峠に差し掛かると、大阪から行けば大和盆地が、逆に奈良から行けば大阪平野が一望に収められる。古来、数え切れぬ人々がこの景色に声を上げただろう。
整備されたのは推古天皇の時代というから1400年以上前。難波宮から大阪平野を通り、峠を抜けて奈良・飛鳥へと至る長い道。その大部分を占める竹内街道は日本最古の官道とも言われる。一説には、遣隋使に同行してきた中国の使者に恥ずかしくない道路を目指したとか。広い場所では30メートルもの幅があったそうだ。
鉄道や車のない時代には、大阪と奈良を結ぶ街道として大いに栄え、大阪湾の魚を運ぶ行商人も大勢いたらしい。地球規模で見れば、大阪から船に乗って、ユーラシア大陸を渡ればローマに続く。シルクロードの終着点とも言える場所である。
奈良側の街道沿いには、大和高田市をはじめとする靴下産地があり、昔は奈良のメーカーと大阪の靴下問屋を行き来する商売人も多かったのだろう。往時から比べれば、産地の現状は寂しい限り。それでも有志がオリジナルブランドの確立や海外販路の拡大に希望をつなぐ。奈良の靴下を担いで遠く欧州、米国に売り込みにいく。時代は変われども、ロマンや情熱は昔の人に負けたくないものだ。