東京・中目黒の目黒川沿いに、古着屋のデプトが復活した。デプトは81年に永井誠治さんが原宿にオープンし、大阪、代官山、下北沢などにも出店。
11年に永井さんの引退に伴って全店閉店したが、永井さんの娘であり、レディスウエア「マザー」、アクセサリー「ユートピア」などを手掛けるエリさんが復活させた形だ。
今夏には、原宿にも出店することが決まっている。エリさんに復活の意図を聞いた。
“デプトというカルチャーを東京から無くしてはいけない”
――なぜ復活させようと思ったのか。
11年にデプトを無くすとなった時に、無くしてはいけないものだと思いました。娘だからそう感じたというよりも、デプトという、古着屋を超えた一つのカルチャーを東京から無くしてはいけないって思ったんです。
ただ、その時はマザーも定期的に発表をしていたから時間が無かった。私がデプトをやるにしても、今がそのタイミングでは無いなと感じていました。
14~15年秋冬のブランド10周年を機に、マザーの定期的なコレクション制作をやめた時、初めて時間ができました。頭の中のハードディスクの容量が増えたんです。半年ごとの発表をやめたことで店のスペースも余るし、古着をやろうかなと思った。しっかり古着をやっていくと決心するなら、今がその時かなって。
マザーのコレクションをやめたのは、同じ服がたくさんあることが面白いと感じなくなったから。好きな服と長く付き合っていくためには、100枚単位の量産でさえ私には多いと感じるようになっていました。半年というスピード感も、会社の規模や自分の身の丈に合っていなかったと思います。
ファストファッションが上陸した時はすごく盛り上がりましたが、今はそれが普通になっています。そこからも分かるように、人間って欲張りだから、何かが当たり前になるとすぐ次へ行きたくなる。
私なりにファストな価値観の次は何かと考えた時、自分しか持っていないもの、限定的なものをみんなが求めていくようになるんじゃないかと思った。そうなった時に、会社として突然方向転換はできない。だから、私は今から準備をしようと思ったんです。
“屋号は関係ない。でも、デプトの「残り香」は伸ばしたい”
――復活に対し、周りの反応は。
何の気負いもなく再開しようと決めましたが、発表した時に、身近な人や父の友人に「よくぞ決めてくれた!」っていう風に言われたんです。驚きました。みんなの気持ちが重くって。
でも、それはみんながデプトを好きでいてくれたっていうことの表れ。復活について、父から特に何かを言われたりはしていないし、私自身、直接父に伝えたかは覚えてない。
私と父親との関係は、父親でありながら父親じゃない。もちろん父親なんだけど、ちょっと違います。上司とも師匠とも違う。ただ、私には憧れのデザイナーや目標のアーティストは一人も居ません。目標は父親だけです。
屋号やブランド名は関係ないと思っています。店にあるものや作っているものが良ければ、名前がどうであれ関係ない。デプトも名前の響きには重きを置いてはいなくて、私なりのデプトをやっていく。それってきっと、デプトの残り香のようなものだと思います。それを伸ばしてあげたい。
私は父親じゃないし、今はあの時代ではない。あの頃と同じビジネスモデルをやったら、すぐにつぶしてしまうと思う。引き継いだものとしてプレッシャーは感じますが、同じものではありません。新しいデプトとして、かつてのものとは違うけれど、根底にあるスピリットは残していけると思います。