創業者の娘が語る「デプト」復活の理由

2015/05/20 07:56 更新


 東京・中目黒の目黒川沿いに、古着屋のデプトが復活した。デプトは81年に永井誠治さんが原宿にオープンし、大阪、代官山、下北沢などにも出店。

 11年に永井さんの引退に伴って全店閉店したが、永井さんの娘であり、レディスウエア「マザー」、アクセサリー「ユートピア」などを手掛けるエリさんが復活させた形だ。

 今夏には、原宿にも出店することが決まっている。エリさんに復活の意図を聞いた。

 

“デプトというカルチャーを東京から無くしてはいけない”

 

――なぜ復活させようと思ったのか。

 11年にデプトを無くすとなった時に、無くしてはいけないものだと思いました。娘だからそう感じたというよりも、デプトという、古着屋を超えた一つのカルチャーを東京から無くしてはいけないって思ったんです。

 ただ、その時はマザーも定期的に発表をしていたから時間が無かった。私がデプトをやるにしても、今がそのタイミングでは無いなと感じていました。

 14~15年秋冬のブランド10周年を機に、マザーの定期的なコレクション制作をやめた時、初めて時間ができました。頭の中のハードディスクの容量が増えたんです。半年ごとの発表をやめたことで店のスペースも余るし、古着をやろうかなと思った。しっかり古着をやっていくと決心するなら、今がその時かなって。

 マザーのコレクションをやめたのは、同じ服がたくさんあることが面白いと感じなくなったから。好きな服と長く付き合っていくためには、100枚単位の量産でさえ私には多いと感じるようになっていました。半年というスピード感も、会社の規模や自分の身の丈に合っていなかったと思います。

 ファストファッションが上陸した時はすごく盛り上がりましたが、今はそれが普通になっています。そこからも分かるように、人間って欲張りだから、何かが当たり前になるとすぐ次へ行きたくなる。

 私なりにファストな価値観の次は何かと考えた時、自分しか持っていないもの、限定的なものをみんなが求めていくようになるんじゃないかと思った。そうなった時に、会社として突然方向転換はできない。だから、私は今から準備をしようと思ったんです。

 

“屋号は関係ない。でも、デプトの「残り香」は伸ばしたい”

 

――復活に対し、周りの反応は。

 何の気負いもなく再開しようと決めましたが、発表した時に、身近な人や父の友人に「よくぞ決めてくれた!」っていう風に言われたんです。驚きました。みんなの気持ちが重くって。

 でも、それはみんながデプトを好きでいてくれたっていうことの表れ。復活について、父から特に何かを言われたりはしていないし、私自身、直接父に伝えたかは覚えてない。

 私と父親との関係は、父親でありながら父親じゃない。もちろん父親なんだけど、ちょっと違います。上司とも師匠とも違う。ただ、私には憧れのデザイナーや目標のアーティストは一人も居ません。目標は父親だけです。

 屋号やブランド名は関係ないと思っています。店にあるものや作っているものが良ければ、名前がどうであれ関係ない。デプトも名前の響きには重きを置いてはいなくて、私なりのデプトをやっていく。それってきっと、デプトの残り香のようなものだと思います。それを伸ばしてあげたい。

 私は父親じゃないし、今はあの時代ではない。あの頃と同じビジネスモデルをやったら、すぐにつぶしてしまうと思う。引き継いだものとしてプレッシャーは感じますが、同じものではありません。新しいデプトとして、かつてのものとは違うけれど、根底にあるスピリットは残していけると思います。

 

目黒川沿いのマザーのショップ1階をデプトに改装した
目黒川沿いのマザーのショップ1階をデプトに改装した

 


“そのへんに落ちている服でも、私がかわいいと思えばいい”

 

――どんな店をめざすのか。

 商品に新しい価値を付けてあげられる店にしたい。私は、いわゆるメンズものの高額なビンテージには根っから興味がありません。なぜなら、それは誰かが付けた価値だから。

 そのへんに落ちているゴミみたいな服でも、私は私がかわいいと思えばお店の一番いい場所に飾ります。他の誰が何と言おうと、「コレがかわいい!」と思う意志。そういう意志が商品に付加価値をまとわせるものだと思う。

 最近面白いと思って集めているのは白いTシャツです。白Tシャツは色付きのものと違って、どこかの同窓会の記念品とか、教会のイベント用、献血のキャンペーン用など、すごくローカルな感覚。そこに時代や背景が見えて面白いんです。
 
 大量生産品で無いところもいい。白だから染みが目立つのですが、楽しいから集めています。あとは38~42インチのデニム。すごく大きいから、他店のバイヤーが買い付けなくて大量にある。でも、それをベルトなどで留めて、くしゅくしゅっと履くのが、私は男女とも素敵だと思うんです。

――そういったステートメントを感じられる店は少なくなっている。

 他と同じようなことをしていて面白いのかな、と思います。私と趣味が合うかは関係なく、楽しんでやっていることが感じられるようなお店が私は好き。何かへのフェティッシュな愛を感じさせるような店です。お店だけでなく、街を歩く人もそう。ファストファッションがこれだけあるから、みんな平均点は高いんだけど…。

 もっと「一体どうした!?」って思わせるようなファッションであってもいい。それを自分が意志を持って選んだんだな、と感じさせるかどうかが大事。好きすぎて、毎日同じ格好をしちゃっているのでもいいんです。

 

内装を手掛けたのは、創業者の永井さん
内装を手掛けたのは、創業者の永井さん

 


“インディペンデントであることが一番大事。属さない”

 

――改めて、父親から受け継いだものとは。

 仕事の姿勢は、父親のやってきたことに影響を受けていると思います。インディペンデントであることが一番大事だという姿勢です。教えてもらったというより、背中を見てやってきました。

 ジャッジをする際に、大人の事情で考慮したり曲げたりしないといけない場面はあるけれど、一番大事な軸として、何ものにも属さないという姿勢を貫く。父親がビジネスをあそこまでやりながら、自分らしさを貫けたのは、精神力の強さがあったからだと思います。

 あとは自分に自信を持つこと。自信を持つためには、四六時中自分が何をしたいのか、何をしていると楽しいのかをしっかり考えていないといけません。そういう強さが必要です。それは楽なことではない。同時に、クリエーションの部分はすごく柔軟でないといけない。そのバランスが大事です。

 

商品構成はレディスが約7割、メンズが3割。夏にオープンする原宿店は、ユニセックスやメンズを多めにする予定という
商品構成はレディスが約7割、メンズが3割。夏にオープンする原宿店は、ユニセックスやメンズを多めにする予定という

 

 私はリアリストなんだと思う。小さい会社で、自分で全部やらないといけないから、必然的にそうなりました。今、社員はアルバイトも含めて10人です。デプトの店舗数を増やして、大きなビジネスにしようというつもりは毛頭無い。細く長くやっていくのが目標です。

 大阪にも是非出店して欲しいといわれているけれど、現時点では東京以外は考えていません。毎週入荷する商品も自分で全部選びたいし、店頭に入ったら自分で並べたい。私は1から自分でやらないと気が済まないタイプですから。

 

■デプトの歴史

1980年 前身となるショップ「ガバメント」を米サンフランシスコに出店
81年 米ニューヨークにデッドストック中心の「デプト」オープン
原宿に「デプトトーキョー」オープン
82年 原宿にクラブ「ピテカントロプスエレクタス」オープン
84年 大阪に出店
順次新宿や代官山、下北沢に出店
98年 原宿に2号店(現「ヴァカント」)オープン
2011年 全店閉店
2015年 中目黒に復活オープン

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