突然ですが私、この9月末に開催される繊研新聞社主催の大型合同展示会JFW-IFFで、メインエントランスを入ってすぐの場所、アトリウムエリアのキュレーションをしております。私の本業は靴下デザイナーではありますが、ひょんなことからこの企画に関わらせていただく事になりました。
皆さんは最近合同展を見に行きましたか?私はこの仕事を引き受ける前、国内合同展は5年ぐらい足を運んでおりませんでした。
というのも、昨今の合同展示会の状況ですが、世の中と市場のそれに比例して非常に冷え込んでいて、それは日本国内だけでなく世界中どこも同じ、業界全体で合同展離れのような空気が広がっています。
ですので、来場者としての私は何となくそっちに足が向かず、気がつけば5年ぐらい経っていたのでした。もちろんこの状況でも様々な工夫が凝らしてある人気の中小規模の合同展はありますが、そういうのは別として、私が言っているのは、これまで有力と言われていた国内外の大型合同展のことです。
一方、出展者としての弊社AYAMEは、パリのプルミエールクラス、NYのカプセルに長年に渡り出展しておりますが、その様子は上述の通りで、現在はそれを継続するか止めるかどうか作戦変更を余儀なくされている状況です。
来場者が減る=バイヤーが来ない、出展しても成果が出ない=オーダーに繋がらない、出展者が集まらない=出ても無駄、見どころが無い=行っても無駄、バイヤー来ない、以下ループ、という図式で、負のスパイラルに陥っている状況です。
現状こうなっている理由は世の中の状況以外にも色々あるとは思うのですが一般的にはそういう事で、出展する立場としては、前向きな気持ちで出展するというよりも、出ない(露出しない)という選択肢もナンだから惰性でやり続けている、というのが正直なところです。
とまあ、こんなダークな感じではあるのですが、そんな厳しい状況下で何が悲しくて難儀な合同展示会のエリアづくりに取り組んでいるのかというと、ひとえに、このまま業界全体が盛り下がっていくのを自分は何もしないで見過ごしていいのか、という事につきます。
もちろん、誰しも個々には頑張っているのですけど、もっと広い視野で見た時に自分は何ができるかな、と思ったのです。
前置きが長くなりましたが、そんなわけで来週から始まるJFW-IFF、私が関わっているエリア『The Home of Better Taste』、どんな思いで取り組んでいるのか、ここで少しご紹介させて頂きたく思います。
「The Home of Better Taste」- 上質の生息地
■自分達のホームに海外バイヤーを迎えて商談する
そもそもの始まりは、前回の4月展でJFW-IFFが取り組んでいる、海外バイヤー招聘企画をお手伝いした事がきっかけです。今回の9月展では20社ほどアジアとイギリスの有力店からバイヤーを招いており、弊社AYAMEの取扱店バイヤーも英国から何人かやってきます。
日本にいながらこんないっぺんに沢山の外国人バイヤーと話せる機会は今まで無かったので、この絶好の機会に、そんな特Sクラスのバイヤーに見せたい日本ブランドの集積を作りたかったのです。自分のブランドもその中にいれつつ。というのも、展示会をやる時って絶対自分のホームに来てもらった方が有利なのですよ。
私なんかも1年に2回、パリとニューヨークに片道12時間もかけて展示会しに行きますけど、通常だいたい着いてから2、3日は時差ボケで調子が出ないし、そもそも移動で疲れて体調悪いし、重量オーバーになるからディスプレイ用具もあんまり持って行けないしで、毎回100%のパワーでプレゼン出来ているというわけでは全く無いのです。
ですので、そんなヘロヘロの状態で海外展に出展するより、自分のホームに迎えることの方が良いというのは火を見るより明らかで、それを他でもないいつもお世話になっている繊研新聞さんが大型合同展IFFの中でやるのであれば、それに乗っかって行こうと思ったわけなのです。
何十万も旅費かけてパリに行くより、30分ゆりかもめに乗ってビッグサイトに行く方が楽だわな。うちからタクシー乗ったって5000円ぐらいです。体調も万全ですしね。
それと、弊社も8年ぐらい海外展に出展し続けてみて、まあまあ健闘している方だとは思いますが、だからと言って日本全体がインターナショナルという点で変わったかというとそうでも無いような気がしていて、なもんで、ここはひとつ皆で束になって自分達のホームに迎え入れ、どうだこれが日本の素晴らしさだ、とその集積を見せた方がより伝わるし理解してもらえるのではないかと思っているのです。
■日本の服飾デザインの独自の魅力とは
次に、その超特Sクラスのバイヤーに見せたいブランド達、私が考える日本らしさって何でしょう、というところですが、私は、日本の服飾デザインの強みというのは、まずひとつ大きく挙げると、日本人特有の探究心やオタク度、細部への気配り、生真面目な気質だと思っています。
それらが商品の面構えに現れているもの、つまり、ブツとしての完成度が高いという事が、日本特有のものだと思っています。これは皆さん既知の事、MADE IN JAPANのプロダクトは、世界中で絶大な信用があります。MADE IN JAPANって言うだけでねえ、という見方もありますが、国として信用されるということは喜ばしいことです。
それともうひとつは、独立してブランドを運営している事が前提になって生まれる自由なクリエイションかな、と思います。それって何かというと、例えばヨーロッパで若くしてブランドをやっているデザイナーは、そもそも超お金持ちの家の子か、その才能を買われてスポンサーが付いた人かぐらいのもので、自分の独資でやっている人って稀(まれ)です。
たまーにいますけど、欧州人って根性無いし、ツラいと5年も経たぬうちにすぐやめちゃうから、10年選手の独立系デザイナーってあんまり会わないです。スポンサーがいると、お金出してくれるからその点はいいですけど、その代わり口も出してきます。利益を出してもらわなきゃ出資している意味無いから当たり前なんですけどね。でも、そうするとデザイナーの自由に出来るわけでは無くなってきます。
仮に、完全に独立して頑張ろうと取り組んでいたとしても、欧州では商品代金の支払いが悪いのが当たり前という環境なので、うまくキャッシュがフローせず、早いうちに首が回らなくなってしまいます。
その点日本はキッチリ支払ってくれる人が殆どなので、独立して小さく始めても、ゆっくりゆっくり雪だるまを転がすように成長していくことが可能です。他の国と比べると、商品代金が期日に支払われるという環境自体がすごく稀有な事なので、独立してからその状態を保って長くブランドをやれる事もまた日本独特のものかな、と思います。
今回、独立系デザイナーでのキャリアがぼちぼち20年に到達しそうな大先輩にもお願いして集まって頂いております。名前を挙げると、SLOWGUN、Holiday’s comfort、RFW等ですが、この方々は私も学生時代から店頭で、なけなしのお金を出して購入していたブランドです。そして、物作り畑(バタ)の人間として、私が絶大なリスペクトを寄せているブランドです。
店頭や雑誌、街が主な情報発信の場だった十数年前、お店で見た瞬間に心奪われた商品を作っていた人達で、そして今でも存続している事は、ひと世代下の私のようなデザイナー達にとって、その存在感に敬愛の念を抱くだけでなく、その姿にとても勇気づけられます。
私は自分もデザイナーなので、デザイナーズブランドが好きです。ブランドってひとつの哲学のようなもので、そのデザイナーの人生観や世界観がそのまま商品になっているものに、やっぱり惹きつけられてしまうのです。スポンサーのゲバゲバした経営方針が商品のツラに出ているようなブランドには全く興味がわきません。
日本の風土がつくる私達日本人の気質と商売の環境、それらはデザインを支える土台のようなものです。そこに、デザイナー独自のクリエイションが加わり、そうやって生みだされた商品こそが、日本独特の魅力や強みなのではないかなと考えています。
■そして今、我々中堅世代がやるべきことは
私と同世代で30歳前後にブランドを始めて今も生き残れていたなら、そろそろブランド歴10年に差しかかる頃だと思います。
今回のこの企画、繊研新聞社で働いている人もビックリするぐらい、従来のイメージのIFFにしちゃ少々突飛だった私の持ち込み企画なのですが、それ故に、仕掛かりの頃は中々思うようにブランドが集まらず、ハンティングは困難を極めていました。
そんな中、最初の協力者になってくれたのは、紛れもなく同世代のデザイナー達で、皆同じく業界のこの現状を憂いて、私の話をしっかり聞いてくれて男気(女性も)ひとつで参加を決めてくれました。
1978年生まれの私が社会に出たのは2001年、その頃からガタガタと階段を転げ落ちるように悪くなっている世の中の状況ですが、そういえば今でも時々思い出すサラリーマンデザイナー時代のエピソードがあります。
かつて私がピカピカの新人だった時、当時の商品本部の本部長(当時56歳)が、企画チーム全員集めて叱責するんですよ、「何でお前らの作るものは売れないんだよ、俺が若い時はこんな面白い物を作って飛ぶように売れていたんだぞ、お前たちもこうゆう物を作れ」と、十数年前の超ヘンなデザインと配色の靴下の写真を見せながら。
2000年頃の十数年前っていったら80年代後半ですかね。そりゃアンタの企画が良かったわけじゃなくて時代が良かったんでしょうがよ、と心の中で思っているような生意気な新人だったんですが、今でも変わらずそう思います。
今から15年前の若者だった私ですら、そんな世代間ギャップにシラケていたぐらいなので、今の若い人が車離れだのファッション離れだのと言われて、どんだけシラケてるんか想像に難くないですよね。
当時は、ちょうど時代の変化がスピードを上げはじめた頃で、そんなズレた事言ってる上司とか上の世代とか、普通に存在できていたんですよね。そんな平和ボケしたその会社は、それから2年後に経営破たんしちゃいましたけどもね。
今、20年選手のリスペクタブルなブランドは、もちろんそれ相応の実力があって、生き残るべくしてそうなっていると思います。しかしながら、ブランドが成長していく段階の創業期や成長期に、世の中の状態が良かったというのは、それ以降の不況世代と比べると大きなアドバンテージがあったと思います。
私がブランドをスタートしたのは2007年ですが、悪い悪いと言われていたその頃ですら、今考えたらマシに思えるぐらいです。
何が言いたいのかというと、自分が自分より下の世代よりも少しはマシな思いをしたなと思うのであれば、今この状況を静観しているだけでは無く、自分達で何かムーブメントになるようなことをしなくてはいけないような気がしています。
今回はそういう思いで、出展して欲しい皆様に協力を仰いだのです。もちろん人はそれぞれ自分の事で精一杯なのだけど、だからと言って、中堅世代で働き盛りになった私達が、この悪状況にそっぽを向いたままではいけないのではないかと思っています。
業界全体が落ち込み、ファッションはもはやサブカルチャーだと言われていますが、そう言われても、自分達が大好きなことで自分達自身が楽しくしていれば、またいつかメインカルチャーに返り咲く時が来るのではないでしょうか。その未来を作るのもまた自分達です。
何故なら、かつて私が好きだった90年前後のサブカルは、世の中の主流がバブル全盛でイケイケの当時、キモイと言われるようなアンダーグラウンドのカルチャーでした。
でも、当時のサブカルの方々は20年後の今やオシャレ文化人になっていたり、TV等、メインカルチャーと言われるような色んな分野で活躍している人も多いです。そういう人達ってやっぱり、世の中の流れがどうであれ常に変わらず独自のオタク魂で自分達の好きな分野で自分達自身が楽しくしていたように見えるのです。
ということで、時代の流れと共に薄れる文化や概念があっても、それでも残って欲しい価値観、商品をよく見て自分でこだわって選ぶことや、購入してからの楽しい発見、そもそものファッションのワクワク楽しい気持ちを次の世代にちゃんと繋げていきたいなと思います。
*****
今回は他にも、私がそのモノ作りの魂に共感する、凄いもの作ってるなー、と普段から思っているスーパーVIPの企業ブランドもご出展下さいます。そういうブランドの商品をまとめてまじまじと見られるというのも中々無い機会です。情熱ある社員の方から直接商品説明が聞けると、また商品が違って見えると思います。
そうやって業界をけん引し皆を元気にしている企業ブランド、私自身が敬愛する独立系ブランド、共に頑張る同世代のブランド等、私が皆様に見て頂きたいブランドに一軒一軒お願いして、今回の企画にご参加いただく事になりました。
一人一人デザイナーさんなり、ブランドの担当の方だったり、皆ホントに個性的で、今回は断られてしまったブランドも含め、この仕事を通しての商談ひとつひとつがとても楽しかったです。それがご来場いただいた皆さんに伝わるといいなと思います。
『The Home of Better Taste』・・・上質の生息地、良いものの発信地、いい感じの集まり。そんな感じの意味合いで、自分で名付けておきながら何とも日本語に上手く訳せないのですが、見応えたっぷりのラインナップになっております。我々中堅世代が中心になって頑張りますので、皆さん来場という形で応援よろしくお願いします!
気鋭の靴下ブランドAyame’の活動記録。現在年2回、東京、パリ、ニューヨーク、ロンドンにてコレクションを発表、Made in Japanの靴下を世界に発信中 あがおか・あや/Ayame’socksデザイナー/桑沢デザイン研究所卒/2007年Ayame’設立