パリに想いを馳せる(阿賀岡恵)

2015/11/18 00:00 更新


先週末パリで起きた事に関し、テロに巻き込まれた人々、そのご家族、パリ市民のことを想い、胸が張り裂けそうな気持ちでいます。

この10年間、年に2~3回の頻度で訪れているパリは、私にとって東京やロンドンに並んで思い入れのある街で、AYAMEのビジネスを通じて出会った素晴らしい仲間達と沢山の思い出があり、また公私ともにお世話になっている大切な友人も住んでいる場所です。

テロの現場となったパリ10区、11区の通りの界隈は北マレと呼ばれ、面白いギャラリーやショップ、こじんまりした美味しいレストランが沢山ある人気のエリアで、パリコレの最中でなくともファッション関係者も多く集います。

一番被害が大きかったバタクラン劇場の一本隣の通りには、私も、デザイナー仲間や仕事関係者と、パリに来るたび通っているレストランがあります。そんな思い入れのある場所が、今回のような惨劇の場になってしまった事に、ひどく衝撃を受けています。

私の親愛なる友人達は世界中の都市に散らばっていて、それはロンドンやニューヨークだったり、パリだったり。これだけ発達したネット社会の中で、インターネットに繋がってさえすれば、メッセージアプリやメール、SNSを通していつでも簡単に連絡が取れます。

それが日常となっている今、私にとって彼らとの心の距離感は、実際の物理的距離よりはるかに近いのです。パリに住む友人の事はもちろんですが、政治的背景から、次の標的にされる優先順位の高そうな都市に住む友人達のことを思うと、心がざわついて仕方がありません。

ヨーロッパの都市は様々な人種、民族が共存していて、(私はロンドンとパリを少し知っている程度ですが)その事は、その場所でそこに住む人々に触れ合う度に、とても強く感じることができます。

私がそういった異文化に心から触れたのは、自分の価値観(先入観とも言う)がそこそこ出来上がってきたつもりの27歳の頃、ロンドンに初めて住んだ時でした。日本にしか住んだ事が無かった私には驚きの連続で、テロ、移民問題、人種差別など、色々なことを身近に肌で感じました。

私自身、2005年のロンドン同時爆破テロを経験し(住んでいる場所から2駅先がその現場だった)、自分も普通に存在する日常の風景が一瞬にして大惨事に代わるという恐怖感を今でも鮮明に思い出します。

そういった問題は、知識として知っていたにしても、それに考えが及ばず気持ちがついて行かない自分をもどかしく思った事もありました。歴史的背景、様々な民族、人種、宗教があることを考えたら、決して相容れない価値観というものが仕方なく存在するという事も、腹に入るように理解できました。

ただ、そういった経験の中で、自分と違う人々の事を色眼鏡で見ないこと、自分は自分であり続けること、という事も体得しました。

信仰や思想の自由はあって然るべきで、人種のるつぼと言われるパリやロンドンでは、そういう、自分とは違うバックグラウンドを持つ人達と交わることができ、自分次第で、心を通わせることができます。

私の仕事のフィールドであるファッションの都としてのパリは、そういった様々な価値観や美意識が交わり合い、自由でクリエイティブなパワーが集結する場所です。そしてそのエネルギーがいつの時も人々を魅了してきたはずなのです。

私のビジネスに数々の幸運をもたらし、素晴らしい仲間に出会わせてくれたパリが、ずっと変わらず自由でエナジェティックであり続ける事を願っています。

無差別なテロ行為には憤りを感じますし、罪の無い一般市民を巻き込むであろう空爆を伴う政策にも全く共感しません。私がその身を案じ想いを馳せる世界の都市に住む友人達は皆タフで、力強いメッセージが返ってくる度、私自身も生きる勇気がわいてきます。

悲しい事はいつでもあって、世界のどこかで天災や紛争の悲劇に見舞われている人々がいて、それを知る度に心を痛めながらも平和な環境にいる自分はそれに感謝し、相変わらず今までどおりの日常を生きるしかなく、無力感に苛まれながらも平和を祈り続けなくてはならないと思いました。


気鋭の靴下ブランドAyame’の活動記録。現在年2回、東京、パリ、ニューヨーク、ロンドンにてコレクションを発表、Made in Japanの靴下を世界に発信中 あがおか・あや/Ayame’socksデザイナー/桑沢デザイン研究所卒/2007年Ayame’設立



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