凡人デザイナーは努力でセンスを磨く(阿賀岡恵)

2015/02/27 11:05 更新


先週は合同展roomsがありましたね。AYAMEは出展しておりませんでしたが、学生時代の友人が出展していたので応援(冷やかし?)に行ってきました!

roomsといえば、AYAMEも初期の頃に二回ほど出展でお世話になりまして、たくさんの出会いがビジネスに繋がり、良い思いをさせてもらった記憶です。会場内をウロウロしていると沢山の再会があり、皆さまから声をかけていただいて嬉しかったです。

合同展の良さは、バイヤーさんだけでなく、出展者、主催者、メディア関係等、その他あらゆる業界関係者と出会える事ですよね。今すぐ仕事にならなくても、商品とクリエイションと自分の気が確かであれば、いつか必ずいい仕事に繋がるタイミングが来ます。 

 


なんと今回は記念すべき30回目の開催!rooms30、おめでとうございます!

 

さて、タイトルの「凡人デザイナーは努力でセンスを磨く」ですが、これは、私がサラリーマンデザイナーだった頃、勤めていた会社の社長に言われた言葉で、今でも心に留め、自分自身が心がけていることです。そんな事を思い出したのは、roomsに行ってきたからです。

今から十年以上前、まだ私が企業デザイナーとして福助に勤めていた頃、故・藤巻幸夫氏(当時の社長)にこんなことを言われました。「感性(センス)は努力で磨くものだ」と。私、藤巻さんの近くで働いている時に教えてもらった事や彼の著書で読んだ事は、年を取ると共に殆ど忘れてしまったのですが、これだけはかなり至近距離で怒鳴られたのでハッキリ覚えています。

「努力しなくても凄いものを出せる天才デザイナーはほんの一握りだ、後は普通の人よりちょっとセンスが良いだけの凡人デザイナーだ、だから凡人は努力しなくちゃいけないんだよ」と。そして、「俺だって努力して感性を磨いてきたんだぞ」とも言っておられました。

この時の私は、社内で組まれた福助再生・新ブランドプロジェクトチームの最年少メンバーで、上述のお言葉は、会議の前日に上がってきたサンプルを見ての社長のカミナリでした。サンプルが届いた時点で、悪くないけど何かイマイチだなあ、と自分でも思っていて、自信が無いまま藤巻さんに見せたら、予想以上にものすっごい怒られました。何だよコレ、誰がこんなモンに金払うんだよ、全然ダメだよ、と、けちょんけちょん。イマイチどころの話じゃなかったです。

その時は、恥ずかしいやら情けないやら、泣きたいというか消えたいというか、バツが悪くて、環境のせいにして同僚に愚痴ってみたりもしましたが、しかし本当の事を言われたのも、自分がデザイナーとして力量と努力が足りていなかった事も、本当は自分でよく分かっていたので、たいそう落ち込みました。そして、「努力してセンスを磨く」という意味もピンと来ていませんでした。一体、何をすればいいのやら。

何故roomsに行ってこの事を思い出したのかと言うと、roomsには、独立して自身のブランドで食べていこうというデザイナーが沢山出展していて、その中には、藤巻さんの怒鳴り声が聞こえてきそうだな・・・という商品のブランドがチラホラあったからです。

Creema等の手作り作家の直販サイトの登場で、独立系クリエイター・デザイナーの領域が浸食され始めている、という記事をどこかのファッションニュースサイトで読みましたが、さもありなん。何故なら、趣味でモノ作りをする人達の作品とどこが違うのか、実は良く分からなかったからです。そういった素人さんとの違いを示さなくてはいけない部分とは、クリエイションや感性のところが大きくあって、それを含めてプロのデザイナーとして努力しているか否か、という事だと思います。要はそれが商品を通して見えてこないという事です。

デザインって、必ず受け取る側のことが考えられていないといけないと思うのですが、着る人のこと、身に付ける人のこと、使う人のことを考えてデザインしていますか?お金を払って買ってくれる人の気持ちに立っていますか?もし自分だったら、その商品にその値段を払いますか?これを常に自問自答しなくてはならないのです。

もし全てを十分にできていたのであれば、既に沢山の人が買ってくれていると思います。そうでないならば、それはデザイナーとして努力が足りないと思いますし、また、売上という形で結果に表れているでしょう。弊社AYAMEは今のところ世界中のほんの一部の人しか買ってくれていないので、まだまだ努力して頑張れる幅がありそうです。

じゃあ、実際にはどんな努力をすればいいの?というとこですが、本来デザインやクリエイションは誰かに教わることではなく、ましてや感性の良し悪し、色彩感覚なんて、口で説明できるものでもありません。自分で自然に分かるようになるものです。その上、十人十色の個性があるので、これをやればいい、と一概に言うのはとても難しいのですが、私なりに思う事を書いてみようと思います。

まず、取り扱う商材についての知識を身に付ける事は、製品としての仕上がりや美しさに大きく関係すると思います。私の場合は、素材を知ること、機械の構造を知ること、ものづくりの工程ひとつひとつを知ることでした。

机の上で勉強するだけでなく、自分でも実際に触ってみて、機械を動かしてみました。体感することで「いい塩梅」の感覚を身体が覚えます。これが解っていないと図案の段階で良さそうに見えても、実際に形にした時に何かヘンなものに仕上がってきます。二次元の図案が良くても、形にすると全くカッコよくないというケースはよくあることです。絵を描く力と、製品に仕上げるセンスは別な力で、デザイナーが製品について深く知る事は、とても大切だと思います。

では、絵が描けなくてもデザイナーになれるのかを言うと、私はそうは思いません。基礎的な造形力は必須だと思います。この辺は、学生時代に死ぬほどデッサンをやらされました。観察する力は創造の原動力で、それを自分の視点で問い直すことはデザイナーにとって非常に重要な行為です。白紙にゼロの状態から描き出して行くことも、バランス感覚を養うことだと思います。美術系、デザイン系の学校では1年生の1学期の1コマ目は毎日ひたすらこれです。という事は、基礎中の基礎なのだと思います。

どこそこの有名美大を卒業しているだけであの人はすごい、とは思いませんけど、基礎を学ぶことは大切だと思います。ドリブルができていないまま試合に出ても、うまくシュートを決めることができないのと同じだと思います。

あとは何でしょう?かっこいいデザインが自然と出てきて、色彩感覚が良くなるような生活をすることですかね?好きな映画を沢山みたり、好きなアーティストの展覧会に行くのもいいと思いますし、自分の生活回りの物を自分で選ぶことも大事かなと思います。まだ若くて予算的に厳しいなら、少しずつでもいいと思います。ボールペン1本からこだわってみるのも楽しいものです。自分はデザイナーなんだという意識が生まれると思いますし、そうやって一つ一つ自分で選んで行くことによって、自分の好きなテイストや色が見えてきます。

それと、もうひとつ大事なことは、精神的に健全な状態を保つことでしょうか。デザインや配色は、沢山の時間を費やせばよいというものでもなく、常に頭の中でグルグル考えていて、それを何かのタイミング(〆切とか)でアウトプットします。気分的にノリノリの時は一発で「これだ!」というものが出せたりしますし、逆に気持ちが暗くなっている時は、何度やっても納得のいくものを出すことができません。

私の場合は、人と会って飲んでおしゃべりすることが大切なような気が、最近しています。私の回りは個性的で珍奇な人が多いので(笑)、その人達と時間を共にするだけで、脳ミソがシェイキングされます。自分と違う頭の人と話すと、一つの物事を何通りもの角度から見られるようになるので、それってクリエイティブの第一歩ですよね。

自分がほんの一握りの天才デザイナーだと思う人はそのまま突き進んでいけばよいと思います。もしそうでないならば、感性を磨く努力をし続け、受け取る側のことを常に考えながらデザインしなければいけないと思います。そして私も、後者の凡人デザイナー該当者の一人です。そんな凡人靴下デザイナーは今日も、どこかの展示会で無料で配られていたボールペンでメモを取るのでした。おわり。

 

 
roomsで出会ったデビューしたてで粗削りだけどキラリと光る才能達 >> 左:ユキ姐のようなフクロウの袋がステキなKOZACLA(コザクラ)さん 右:ニットマシンの針を使って手で編み上げているitofun(イトフ)さん


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AYAME SOCKSオフィシャルInstagram@AYAME_SOCKS


気鋭の靴下ブランドAyame’の活動記録。現在年2回、東京、パリ、ニューヨーク、ロンドンにてコレクションを発表、Made in Japanの靴下を世界に発信中 あがおか・あや/Ayame’socksデザイナー/桑沢デザイン研究所卒/2007年Ayame’設立



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