《私が駆け出しだったころ》三笠社長 甘利茂伸さん 人との縁が好機を紡ぐ

2026/04/24 14:00 更新会員限定NEW!


甘利茂伸さん

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ディスコから靴下修業

 高校時代は地元の横浜から新宿のディスコに通い詰め、遊びに明け暮れる日々でした。専門学校で情報処理を学ぶもプログラミング言語で挫折。将来の目標もなく、半ば強制的に靴下の産地である奈良の靴下メーカーへ修業に出されました。

 2年ほど働きながら靴下作りを学んだ後、父親の体調不良を機に実家へ戻ると、主力の生協を任されることに。当時の全社売上高は1億円に満たず、そのほとんどが神奈川生協。営業未経験で右も左も分からない中、大切にしたのは酒食を共にする、人間同士の付き合いでした。振り返ると、人脈と運だけで道を切り開いてきたと思います。

 大きな転機は00年ごろ。知人の紹介で中国生産を直貿で始めたことです。

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