私が30歳になる年に、成人式ならぬ〝三十路式〟を設け、「岡山県三十祭(さんじゅっさい)」と名付けた大同窓会を主催しました。1300人を超える同世代が集い、同様の催しとしては国内屈指の規模だったと思います。
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あれから10年経った今年の2月15日、仲間たちと再び「岡山県四十祭(よんじゅっさい)」を開催しました。同じ土地で育った同世代が再び集う光景には、単なる懐旧を超えた特別な熱があります。人生の折り返し地点に差しかかり、それぞれが仕事や家庭、責任を背負った状態での再会は、同窓という関係の強さを改めて実感する時間でもありました。

ハレでもケでもない
岡山県では「同窓会等開催支援事業補助金」を設け、市町村と連携しながら同窓会の開催を後押ししています。40歳以上は対象外のようですが、特に若い世代が再会することが、結婚や子育て、Uターン、定住など人生設計を考える契機になると期待されているようです。同窓会は私的な集まりであると同時に、地域社会にとっても意味を持つ「イベントジャンル」になりつつあるのかも知れません。


さて、今回改めて浮かび上がったのは装いの難しさでした。四十祭ではあえてドレスコードを設けませんでしたが、想像以上に多かったのが「何を着ていけばよいのか」という問い合わせです。
冠婚葬祭であれば決まった装いがあり、日常であれば特に迷うことはありません。しかし、同窓会はそのいずれでもない。フォーマル過ぎれば浮き、カジュアル過ぎれば軽く映る。かといって、気合いが入り過ぎれば違和感が生じてしまう。民俗学では「ハレ」と「ケ」という考え方がありますが、同窓会はそのどちらにも収まりきりません。
厳格な形式はないものの、単なる日常でもない。そのあいまいさこそが、装いを難しくしているのです。今回のように、戸惑う人が多いのも仕方ありません。
基準はどこにある
TPO(Time Place Occasion)は、装いを考える上での基本的な物差しです。しかし、同窓会に「何を着ていくか」を考えるには、それだけでは足りません。私は、そこにR=Relationship(関係性)を加える必要があると考えます。
誰と再会するのか。どのような距離感で向き合うのか。かつて親しかった友人か。久しぶりに顔を合わせる同級生か。仕事で交わる可能性のある相手か。それぞれの関係性の解釈が、その日の装いを左右します。
明確な規範がない以上、頼れるのは自分自身の感覚です。正解が与えられない場では、自分で線を引くしかありません。誰と向き合い、どの距離に立ち、どのように自分を示すのか。同窓会での装いは、単なる服選びを超えた思考を私たちに求めます。
そこには、現代人に必要なリベラルアーツの一端が宿っているのかも知れません。

