小松マテーレ(旧小松精練)で代表取締役会長、社長を務めた中山賢一さんが5月16日、84歳で亡くなった。日本の繊維産業が転機を迎えた87年に社長に就任し、以来35年にわたって代表取締役として同社を率いた。大手メーカーからの委託生産に頼らない自販のビジネスモデルを確立し、世界に通じるミルコンバーターに育て上げた。
【関連記事】《訃報》元・小松マテーレ会長の中山賢一さんが死去
中山さんが小松精練に入社したのは64年。自販を手掛ける販売課設置とともに初代課長に就任した。当時は大手合繊メーカーからの委託加工が花形の時代で、委託元とのバッティングも生じる自販は取引先や自社の経営者からも煙たがられたが、非主流の部署で結果を出し続けた。
79年の第2次オイルショック以降、円高や海外との競争激化が徐々に進み、84年には同社も赤字転落するなど危機に陥った。その時、自販担当の取締役だった中山さんに白羽の矢が立つ。87年に45歳の若さで社長に就任、自販拡大を進め、柱の事業に育てた。自販重視について「委託加工は楽だが、自立して生きていくことを考えないといけない。楽ばかりすると現状に安住し、オリジナリティーも劣ってくる。自立性を失うと会社の技術力もなくなっていく」と語っている。
海外販売も積極的に進め、プルミエール・ヴィジョン(PV)が海外企業に門戸を開いてすぐ、03年から継続出展し、日本企業で初めてのグランプリを獲得するなど海外でも高い評価を得た。

日本の繊維製造業の生き残りのため自立による「ワンチーム」の重要性を説き、04年に設立された東レ合繊クラスターでは初代会長として、同業やサプライチェーン同士の垂直・水平連携に尽力した。経営の一線を退いてからも情熱は衰えず、「日本の繊維産業はまだまだ戦える」と訴えた。中山さんの思いは日本の繊維業界に託された。ご冥福をお祈りします。
(中村恵生)
