■紙版復活
12月初旬、ニューズウィークの紙版が復活するとのニュースがありました。紙版の刊行停止から1年での逆転劇でしたが、デジタルだけでは届けられないフィジカルな感覚がある。またそれは商業的にも無視できない状況であることをあらためて示されたような気がしました。
デジタルツールの発達によって、私たちはこれまでにないような、ひろがりのあるネットワークをつくったり、またそれに参加できるような恩恵を受けたのですが、日常レベルで紙に触れる機会が減ったことは否定できません。手でなにかを書くという行為からも遠ざかり、触るといえばキーボードです。便利なことは間違いありませんが、どこか味気ないと考えるひとは多く、デジタル化へのバックラッシュと思われる動きがここ数年あらわれています。
■アナログへの傾き
そのひとつが手紙。自分の手で書くアナログな手紙がちょっとした人気です。文化庁が今年3月に16歳以上の男女を対象に「国語に関する世論調査」を行いました。手紙やはがき、年賀状、レポートや報告書を手書きで書くか、という質問に対しては、どの年代も8年前の調査にくらべて、10ポイント以上さげ、手書きの比率がさがったこと、つまりコンピュータの日常使用が拡大したことが確認できます。
一方で、面白いのは、「今後なるべく手書きで手紙を書くようにすべきである」という質問に、書くべきとする回答が、16-19歳、20代、30代の各層で8年前を上回り、40代、50代、60代以上の層では下回ったのです。若い人=ものごころついたときにすでにコンピュータがあった、いわゆる「デジタルネイティブ」な人ほど、手書きにこだわったのです。
また、国内の文具の売上がじわじわと回復しています。コンピュータの普及や安価な海外メーカーの攻勢もあって、2009年まで下がる一方だったのですが、今年はパイロットと三菱鉛筆が過去最高益をだすだろうと報じられました。製品開発力の高さはもちろん、各企業の経費節減により、文具の支給が減ったことで個人購入が増えたという説もありますが、手紙や手書きが見直されていることも背景にあると考えられます。
デジタルネイティブなひとにとっては、手書きはある意味クールな行為。ひとつひとつ文字を書くという労力が、自分の思いをこめる器のようになってくれることを「発見」したのかもしれません。でも、どの年代であっても手書きのものを受け取るとうれしいのではないでしょうか。便せんや切手、インクの色やちょっとした文字の流れに送り主を感じます。
デジタルあふれる世界にいるからこそ、手で触れたり、相手のフィジカルな行為が思い浮かぶアナログなものへの共感が高まるとしたら、デジタルとフィジカルは敵同士ではなく、補完関係なのかもしれません。
■生身のものに向き合う
アパレル小売店のショーウィンドウや店舗内では、本物の花や木をつかったVMDが今年増加したという話も聞きました。生身の「いきもの」の存在を求める、これもデジタル化社会に対するバックラッシュ現象のひとつとしてとらえられています。
ブリック&モルタル(れんがとモルタル)といわれた伝統的な店舗による小売りは、クリック&モルタル(オンラインと実店舗)ということばに変化しました。オンライン店舗は便利ですが、かといってそれだけでは感覚的に不十分なのでしょう。オンラインストアのポップアップ実店舗のニュースもたくさんありました。実際の店舗でお客さまと話す、商品にじかに触れてもらえる場所はデジタル化が進むほどに重要性が増していきます。
■ 身体性とスポーツトレンド
前回のブログ、2014年春夏コレクションの話でもすこしふれましたが、来春は素材の質感の高さが重要になるともいわれています。レース、刺繍は手触りや立体感が、また光沢のあるような素材ではつるりとした感触など、皮膚に感覚としての記憶がのこるような触りごこち、これがキーになります。このトレンドもまた、フィジカルなものへの傾きと結びついているのではないでしょうか。
ここ数シーズン、スポーツウェアとファッションの領域がかぎりなく接近している背景にも、私たちの身体を現実から引き離してしまうような、デジタル社会の存在が見え隠れします。フィジカルというと1981年にオリビア・ニュートン・ジョンのヒット曲がありました。当時、歌詞が物議をかもしましたが、フィットネスブームの幕開けを告げるようなリズムとファッションで、その後のボディコンシャス時代へとつながっていきました。
誰もが自分の身体を意識し始めた80年代と今では動機こそ異なりますが、スポーツからのエッセンスをともに求めていることは興味深い事実です。そして、身体性を失いかけた、ある種浮遊感の増した現在、スポーツ的なものと同時に質感、触り心地、手触りへの着目が同時に起こっているのです。
さらに先、2015年春夏のトレンドとしてWGSNでは、「フォーカス」というテーマをあげています。モノの存在感、そこにある、ということを知覚するためのキーワードともいいかえられます。現代アートの世界では、たとえばアンドリーヌ・ドゥ・モンセニャのように、触ることができないものへのもどかしさを表現したような作品、見えない瞬間に目を凝らそうとするような高速度写真をつかったものなどがあります。そんなことからもフィジカルなものを求める流れがつづくだろうと考えています。
■ 最後の砦?
この生身の感覚ということを重要視したひとに、ジャン・ボードリヤールという社会学者がいます。その著書『消費社会の神話と構造』を読んでいると、近代化された国では誰もが消費社会の住人で、出産から葬儀まですべてが消費社会の構造のなかにしっかりと組み込まれていることがわかります。
私たちには消費社会からのがれるというオプションはありません。その真ん中なのか、はじっこなのか、どこかの位置を選択することしか残っていないと痛感させられるばかりです。山奥で仙人のように誰とも関わらずに生きているひとは別、と思いたいですが、成熟した社会であえてそのような生活を選択しているひとは、それはそれで、アンチとして消費社会の枠の中にいることになる。ボードリヤールの手にかかると、ほとんど気が滅入ってしまうことばかりの世の中に思えます。
ただ、ほんの少しの希望があります。消費社会のからくりを知り尽くしていて、どんなトリックも通用しないボードリヤール。そんな彼が信じたのは「唯一性」です。たとえば、リンゴをかじったときの瑞々しい、口の中にひろがる清涼な感覚。それを味わっているときの実感はマーケティングやあらゆる仕掛けを超えて、何ものかがいまここに確かに存在している、と教えてくれます。
この「唯一性」の感覚は、私たち一人ひとりが、つまり私たちの誰もがかけがえのない存在なのだという認識にもつながっていきます。それは、多様性が実現される世界の必須条件ではなかったでしょうか。冷徹な目で消費社会を捌ききったひとですが、その奥にはとても温かなものを感じます。
フィジカルなものへの思いは、デジタルバックラッシュなのか、クールなものを探すなかででてきたのか、あるいは唯一性の再認識なのか。世代によっても違うかもしれません。でも、クリエイションの方向性として、また、ファッショントレンドとして、スポーツテイストや、素材感へのこだわりとなって現れる、感覚や実感をだいじにしようとする動き。この動向を注意深くみていきたいと考えています。
来年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さま、よいお年をおむかえください。
短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。