服飾系専門学校には、専門分野に特化した教育内容にひかれ、目的意識の高い学生が集まっている。高校から服飾を専攻した人、大学既卒者や社会人経験者など様々な学生が、知識や技術の修得、課題の制作に励んでいる。学内イベントでリーダーを務めたり、学内外のコンテストに挑戦して成果を出したり、学外活動や精力的に就職活動に取り組む学生も多い。各校が期待をかける来春卒業予定の学生に、学校生活を振り返り、将来の夢、未来の自分について語ってもらった。
強みを生かしたブランドを発売、独立へ着実に
文化服装学院 アパレルデザイン科3年 西脇駆さん
中学3年の時、たまたま見た「99%イズ」の服に衝撃を受け、海外サイトでお年玉で買ったのが、ファッションに興味を持ったきっかけ。高校は進学校だったが、自分もブランドを作りたくなり、文化服装学院のファッション工科基礎科に入った。
ミシンの本格的な授業は初めて。平面の紙に作図し服になるイメージもつかめなかったが、課題の数をこなして一から習得。「不器用なので服は計画的に時間をかけて仕上げる。でも昔から絵を描くのは好き」で、デザイン画のコンテストで学年1位になり、コラージュの授業も全て優秀作品に選ばれ、強みに気付いた。
「自分には自分の良さ、自分にしか作れないものがある。学生なので粗削りでも、得意なグラフィックや色使いとバランスで勝負し、生き方を投影した独自の世界を持つブランドを作る」と決意。「授業は休まず課題の期限を守りながらブランドを成功させる」と目標を定め、2年次にアパレルデザイン科に進み、二つのコンテストに応募して両方、本選に進出した。
学年末の3月に、同校が楽天ファッション・ウィーク東京関連イベントのショーを開くことを知り、「絶対、出たい」と実物6点という厳しい審査に気合を入れて挑んだところ、業界人の投票による審査で1位になりショーで作品を披露した。
業界人の3分の1以上からの得票で自信がつき、「卒業後は独立し、自分のブランド一本で生活できるようにする」と決心。在学中のブランド発売に向け、4月にSNSで発信を開始した。6月に中国や英国の工場に生産を依頼し、資金を得るため二つの海外コンテストに出品して台湾で2位、中国のヘンペルアワードで金賞を獲得した。11月からブランド「デッドボーイ」のオンライン販売を始め、アーティストの衣装としても人気で順調な売れ行きだ。「ブランドに込めた思いを伝え、共感してもらうことが大切。SNSで他人の人生を変える服を作っていると実感でき、うれしい」と話す。

ブランド運営業務と並行し、卒業制作は11月に完成させ、来春の楽天ファッション・ウィーク東京関連ショーの学内コンテストの作品を制作中。「手伝ってくれる友人と一緒に上がっていきたい」と意欲を燃やす。
服で人生を豊かにできるように
大阪モード学園 ファッションデザイン学科高度専門士コース4年 宮川一葉さん
小学生の時から高3までバレーボールに打ち込んだが、けがで断念。「服も好きだった」ことから、大阪モード学園に入学した。服飾を学んだ経験はほとんどなかったが、持ち前の気力や向上心を発揮し、メキメキと実力をつけてきた。「がんばらなければ、という時こそ、逃げずに真剣に向かい合う。そうすれば結果につながる」と振り返る。
飛躍の大きな転機は、3年生の時に、あるデザイナーブランドのインターンシップに参加したことだ。「それまでは周りを気にしてやりたくてもできないこともあった。でも、自分をもっと自由に表現していいんだ、と気づくことができた」。「自分を出すのはデザイナーとして良いこと。自分の考えをいかに整理し、バランス良く表現するかが大事」と学んだ。
24年にセレッソ大阪の30周年を記念したTシャツデザインコンテストで、最優秀賞を獲得。25年に入ってからも、大丸松坂屋が運営するサブスクリプションサービス「アナザーアドレス」によるデザインコンテストで、学生・アマチュア部門のグランプリを取るなど、数々のコンテストで受賞を続けている。
卒業後は、スポーツメーカーのデサントにデザイナーとして就職が内定している。バレーをしていたころにデサントの服を着ていたことなど、「様々な縁を感じて応募した」。「スポーツをしていた人が多いし、自分も大きく成長できそう。自分のデザインがどう変わっていくのか楽しみ」と笑顔を見せる。
尊敬する人はオーダーメイドの家具職人をしている父。「幼いころに家具の納品について行き、お客さんがすごく喜んでいるのを見て、すごいと思った」。自身も「服で人の人生を豊かにしていけるようになれたら」と、将来の目標を話す。
AI時代に届ける自分だけの価値
愛知文化服装専門学校 アパレル技術専攻科3年 久保田夏紀さん
小さなころからファッションが大好き。母が洋裁に携わっていたのでミシンやアイロンが身近にあり、着るだけでなく、自ら小物を作ることもあった。高校卒業後は、アットホームな雰囲気で基礎から丁寧に学べそうな愛知文化服装専門学校に進学した。同校で力を入れたのは、創立記念ファッションショーだ。2年生の時に実行委員として参加し、今年は実行委員長を務めた。「もっと上を目指して挑戦してみよう」と思い切って立候補した。
リーダーとして引っ張るというよりは、メンバーと対話を積み重ねるのが久保田さんのスタイル。相談もたくさんし、協力してもらい、ショー当日に向けて準備を進めていった。
ショーで使う映像は外部の人に協力してもらって制作していったが、自らの制作活動もあり、いかに両立させるかに苦労した。また、ショーに出す作品と同じデザインの映像を3Dデザインソフトウェアの「CLO」で作ることにもチャレンジ。授業の前に、朝から学校に来て映像を制作。分からないところは先生に相談し、ユーチューブを使って独学でも学んだ。
ショーを終え、「パターンの楽しさ、挑戦することの大切さを学んだ」と振り返る久保田さん。後輩には「最初からできないと決めつけずに、何でもやってみてほしい」とエールを送る。
就職はパタンナーの選択肢もあり悩んだ結果、来春から大手セレクトショップで販売員として働くことにした。「まずは信頼される販売員になりたい。1年目を大切に、あいさつなど基本的なことを大事にしたい」と話す。

今は「AI(人工知能)による自動化で、AIに仕事を取って代わられる時代」とし、「ファッション業界は、商品に対して自分だけにしかできないことをプラスして価値を生み出し続けていく業界だと思う」と強調。「そのことを忘れずに自分だけの価値を届けていきたい」と意欲を見せる。
広い視野を持って挑戦し続ける
ヒロ・デザイン専門学校 プロフェッショナルデザイン科4年 金子和哉さん
幼少期はよく祖父に地元の百貨店に連れて行ってもらい、父も母もおしゃれが好きなファッションに囲まれた家庭で育った。小学校から高校までは部活のバドミントンに打ち込み、「中途半端が嫌い」な性格が培われた。高校卒業後は自然な流れでファッションの道へ。九州で唯一、高度専門士4年制学科のプロフェッショナルデザイン科があり、少人数で学べるヒロ・デザイン専門学校を選んだ。
入学後は福岡から熊本まで遠距離通学をしながら、「負けたくない」との思いで人一倍、勉学に励んだ。2年生の時、学内のコンテストで評価されたことがあり、「結果を出したいという思いが報われ、自信がつき」、その後も学内外のコンテストに挑戦してきた。結果に結びつかなかったことも多々あったが、向上心を失わず様々なことに視野を向け、挑戦し続けてきた。
授業では2年次に自身のブランドを立ち上げる課題がある。毎シーズンの流行や世相をデザインに落とし込み、ブランドコンセプトの一貫性を持たせた服作りを行う。単品の作品制作と異なる技術が必要で難しかったが、就職後にも役立つ課題だったと感謝している。
学校でファッションを学ぶ一方で独自の勉強にも力を入れ、将来の独立の夢を実現するため2年生でビジネス検定を取得。「人と同じことをしていても駄目。プラスアルファの何かをしないと、他人の上には行けない」と学生のうちからできることは実行してきた。
学校生活の中で、特に大きな経験になったのはイベント広報のリーダーの仕事。学内に加え、学外との産学連携など様々なイベントがあり、立場や意見の違う人にも自分の考えをしっかり伝え、みんなをまとめる必要がある。「伝えることの大切さや自分の行動が与える影響を痛感した」
就職活動では企業理念を確認し、可能な限り店舗にも足を運んだ。来春、就職するアパレルの店舗を訪れた時は、店員が本当にファッションを好きと感じ、「志の高い人たちが働くこの会社で一緒に働きたい」と思った。就職後は学んだことを生かし実績を積み、まず「本社でブランドを任されるようになりたい」と話す。

