デザイナーのアズディン・アライアさん死去

2017/11/20 16:06 更新


 【パリ=松井孝予通信員】ファッションデザイナーのアズディン・アライアさんが18日、パリの病院で死去した。77才だった。アライアは亡くなる10日前に転倒し入院していた。

 アライアさんはチュニジア生まれ。美術学校で彫刻を学び、50年代末に渡仏。イヴ・サンローランの下、「クリスチャン・ディオール」で働き始め、「ギラロッシュ」「ティエリー・ミュグレー」を経て、パリ7区ベルシャス通りに自身のアトリエを開いた。83年に、自身の名を冠にした「アズディン・アライア」を設立。新しい素材で彫刻のようにボディーラインを強調したドレスで、パリモード界に新風を吹き込んだ。

 オートクチュール連盟のメンバーだが、パリ・ファッションウィークのオフィシャルカレンダーでコレクションを発表せず、また広告も一切打たず、ファッション市場のシステムから遠い存在であることを貫いた。4区ムシー通りにある本社併設のアートギャラリーで、まれにショーを開き、この7月には6年振りにクチュールコレクションを発表した。13年にパリ市立ガリエラ美術館で開催されたアライアの大回顧展は、大成功を収めた。

 メゾンアライアは、00~07年までプラダグループ傘下、その後スイスのリシュモングループへ移った。リシュモンのヨハン・ルパート会長は、「アズディン・アライアは私の仲間であり、大親友だった。ファッション産業は偉大な才能を失った。クチュールへのたぐいまれなアプローチで、彼は永遠に特有とみなされるスタイルを創造した」と声明の中でアライアの功績を称えた。モード界だけでなく政界人、文化人らがアライアへ追悼の意を捧げている。

 リシュモンはアライアさん死去にともなう今後のメゾンの方向について、明らかにしていない。



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