1964年8月17日は、佐田啓二が世を去った日です。1926年12月9日生まれ。37年の人生でした。京都府下京区の生まれで本名は中井寛一。俳優の中井貴一は長男。中井貴恵は長女。
東京の早稲田大学に入るために、俳優の佐野周二の家に下宿。そこで映画の世界に入ることになり、佐野の二文字を得て「佐田啓二」になったという。当時の日本映画界では、美男子中の美男子として、正統派の男優の人気を博したものです。『君の名は』での春樹は、今なお印象に残っています。
佐田と親しかったのが小津安二郎。俳優と監督との関係を越えて親子以上のものだったという。昔、大船の撮影所近くに食堂があって、その娘を小津は娘のように可愛がった。その娘が後に佐田に嫁いだことから。
小津が東京で遅くなるときは、たいてい佐田の家に泊まる習慣だったという。小津が撮影のときにかぶったのがピケ帽。そのころはトレードマークだったものです。ピケ帽を注文でいくつもつくり、汚れたら自分で洗ったそうです。(服飾評論家・出石尚三)