1997年8月10日は、江國滋が世を去った日です。34年8月14日、東京に生まれていますから、62年の人生だったことになります。本業は随筆家。「名」を三つ四つ添えたいくらいの随筆家でした。それも最後の最後まで、「随筆」しか書かなかった人物でもあります。筆の立つ方はたいてい論文を書き、随筆を書き、小説を書くのが常なのですが。
それから「江国」の表記がお好きではなかった。「江国」と書いてあれば、「ああ、これはおれのことではない」と言ったとか。その意味ではすべてにおいて一本筋の通った人物でありました。
今は昔の話。出版社から原稿依頼の電話がかかってくると、まず訊ねたそうです。「それは横組みですか? 縦組みですか?」と。横組みの原稿依頼は、丁重に断ったという。名マジシャンでもありました。随筆よりもマジックのほうが上手、とまでは言わないとしても。立派に入場料を頂ける芸域に達していたそうです。
江國滋著『伯林 感傷旅行』を読んでいると、「夜はパリ仕立ての濃紺の三ツ揃いという服装がぴたりときまっていたが…」これはパリを案内してくれたA氏の着こなし。スーツで筋を通すといえば、やはりスリー・ピース・スーツでしょう。(服飾評論家・出石尚三)