99年9月、渋谷109のショップ、「エゴイスト」は月間売上高2億8万円、〝月坪〟(3.3平方メートル当たりの売上高)1183万9000円を記録した。客の中心は高校生から20代前半で客単価は5000円程度。ギネスブックに申請しようという話も出たこの数字には、109を運営するティー・エム・ディー(当時)が「物理的限界」と口にしたほどである。
男のプレゼント
109の熱狂は、この数年前から始まっていた。ハイビスカス柄の「アルバローザ」がヒットし、それを販売する「ミージェーン」に女の子たちが殺到。コギャル、厚底ブーツ、ガングロなどのブームとあいまって人気が膨らんだ。全国を驚かせた最初の金額は、ミージェーンが98年3月に出した売上高1億8648万円、月坪900万円超だ。このころ、主要都市の商業施設に次々とマルキュー系フロアができ始める。まさに日本中のブームで、百貨店もこうしたフロアを作ったほど。99年5月には「ココルル」が1億4888万2000円、月坪1000万円超を売り上げた。
ファッション業界にとって衝撃だったのは、数字だけではなかった。その背景には業界の従来の仕組みをひっくり返す、革新的な発想とそれを実現するパワーがあった。象徴する言葉がある。当時のエゴイストのプロデューサーが言った「大手アパレルの服って男のプレゼントみたい」。女の子の気持ちを分かっていなくて、もらってもうれしくない、欲しくないものという意味だ。背広を着たおじさんたちが作る服にダメを出して、店の若い女性たちが自分たちの服を作り始めた。それを店頭で〝試着販売〟して共感が広がる。渦の中心にいたのが「カリスマ販売員」だ。客の憧れの的というだけでなく、精度の高いマーケティング、情報の媒体はあのころ、彼女たちが担っていた。
「いくつものハンコを待ってるようでは売り逃す」というのも、当時の109のテナント企業がこぞって言っていたこと。カリスマたちが売りながらつかんだ次に着たい(売れる)商品は、スピードが命。それも大手にはまねのできないことだった。それまで誰にもできなかったことを、ほとんど素人のカリスマたちが実現した。
注目の東大門市場
ブームが膨らんだとき、発注から店頭まで1週間を切る超スピード生産を請け負っていたのは都内の小さなメーカーなどだが、さらにそのサイクルを確立させる生産地として業界に知られることになった〝産地〟がある。ソウルの東大門市場だ。
東大門には服作りの専門知識がなくても製品化できる機能があり、109のショップをはじめ中小の小売店などが通い始めた。できたものをすぐにハンドキャリーして売っていた。
この熱狂は、91年のバブル崩壊の底からファッションが元気を取り戻す大きなエネルギーになっていた。一つの店から日本中を巻き込んで大きな成功をつかむ、夢の物語でもあっただろう。この後、メンズやストリート系でもそんな夢を追いかけて、自分たちのリアルを武器にした新しい商売が始まっていく。