高田賢三さん死去 悲しみに沈むパリ

2020/10/06 06:30 更新


16年6月に開かれたレジオン・ドヌール勲章の授章式で

 【パリ=松井孝予通信員】高田賢三さんの訃報は、ファッションウィーク開催中のパリに深い悲しみを与えている。仏メディアは揃って賢三さんの死を速報した。

 「ル・モンド」「ル・フィガロ」はデジタル版で、賢三さんの功績をたたえ、オマージュを捧げた。

 パリ市長のアンヌ・イダルゴ氏は、「才能を持ったクリエイター。彼は世界中に色と光を与えた」とツイッターに賢三さんへの追悼文を載せた。

 「ケンゾー」を傘下にするLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンのベルナール・アルノー会長兼CEO(最高経営責任者)は、「70年代から、詩的な軽快さと心地の良い自由なデザインで、多くのデザイナーたちに影響を与えてきた。フレッシュで自発的なスピリットの中で彼は永続的に香りの世界も刷新してきた。彼が創り上げてきたKENZOは、彼のビジョンを探求し続ける」と敬意を表した。

70年パリから世界に新風

 「KENZO」(ケンゾー)を創設したデザイナー、高田賢三さんが死去した。81歳。9月10日に入院し新型コロナウイルスに感染したと診断され、パリ市内の病院で治療に専念していたが、10月4日深夜、亡くなった。

 高田さんは1939年姫路市生まれ。高校卒業後、神戸外語大学を経て文化服装学院に入学。65年に渡仏し、70年にパリでコレクションを発表と同時にブティック「ジャングルジャップ」をオープンした。パリの伝統的なクチュールに対し、日本人の感性と新しい発想のコレクションが評判を呼び、名声を得た。

74年、アトリエで(高田さん提供)

 「KENZO」は高い評価を受け、フォークロアなど様々な民族衣装を取り入れた〝ケンゾールック〟が世界で知られる。84年に仏「シュヴァリエ・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」、98年に芸術文化勲章最高位の「コマンドゥール・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」を受賞。99年10月のパリ・コレクレションを最後にケンゾーブランドを退く。

 その後、様々な分野でのデザイン活動、絵画、異業種との協業事業などを手掛けてきた。2016年にはレジオン・ドヌール勲章「名誉軍団国家勲章」を受勲した。今年1月、インテリアブランド「K三」(ケイスリー)を発表し、サンジェルマンデプレにショールームも開設していた。

 ケンゾーブランドは80年代には全国の百貨店、商業施設のインショップで販売され、その人気が全盛となった。バッグなどのライセンス商品も広がった。オートクチュールからプレタポルテへとファッションの流れが大きく変動する中で、新しい時代を切り開いたまさにパイオニアだった。

20年1月「K三」の発表で

高田さんを悼む

文化服装学院で一緒に学んだデザイナーのコシノジュンコさん

 あまりにも突然の訃報(ふほう)で、驚き悲しんでいます。世界のKENZOとして皆に愛された「ケンチャン」。 私にとって学生時代の出会いから今まで、思い出がいっぱい詰まった時間を共有できた最愛の親友でした。

デザイナーの鳥居ユキさん

 一番の思い出は85年、私のブティックをパリのギャラリーヴィヴィエンヌにオープンしたとき。「ここ、僕が初めて店を出した場所だよ。偶然だね」とパーティーに来てくれました。親しくなり、彼の別荘を訪ねたり一緒に食事したりと楽しく過ごしてきました。彼は本当にみんなに愛されました。性格が抜群なんです。それが服にも表れていたと思います。肩ひじ張らずに自然で気持ち良い。柄や色のミックスもいやらしくない。何事も隠すことのない、何でも話す人でした。

ケンゾーCEO(最高経営責任者)、シルヴィ・コラン氏

 半世紀にわたり、高田氏は創造性と色彩をこの世界に取り込んできました。彼の楽観主義、人生への熱意や寛大さは私たちのメゾンの柱であり続けます。

「ケンゾー」アーティスティックディレクター、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ氏

 高田賢三さんが亡くなったと聞き、深い悲しみに暮れています。彼の素晴らしいエネルギー、優しさや才能は周りの人をもそうさせる力を持っていました。そんな彼のスピリットは永遠に生き続けるでしょう。安らかにお眠りください。



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