大阪府東部に位置する河内地方は、江戸時代から明治時代にかけて綿花の一大産地だった。特に南北に長く広がるエリアの中央部に位置する中河内地域は1704年の大和川の付け替え以降、砂地で水はけが良い綿栽培に最適な土壌となり、生産量を飛躍的に拡大した。河内木綿と呼ばれ、庶民の普段着やのれん、布団地、酒袋などとして全国に広がったが、明治以降の機械化や輸入綿の台頭で産業としての河内木綿は姿を消した。その河内木綿を地域ブランドとして復活させようと、八尾市の行政、団体、企業が協力して25年の大阪・関西万博のリボーンチャレンジゾーンへの出展準備を進めている。
(藤浦修一)
広がる綿花栽培
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