ファイブフォックス代表取締役会長の上田稔夫さんが死去した。
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上田さんは44年3月愛媛県生まれ。76年にファイブフォックスを創業した。同社は00年代前半のピーク時に売上高約1800億円、グループ全体では2500億円を超えるなど一時代を築いた。原点は小売業発想にあり、アパレルメーカーからSPA(製造小売業)に進化を遂げるなど大きな足跡を残した。創業前には専門店の三愛、鈴屋に勤め、常々「小売り屋のおやじ」を自任していた。「世界一の笑顔、あいさつ、お畳み、親切」をスローガンに掲げ、社内でも「お店の方、本社のやつ」と店頭重視を徹底した。
小売業発想は感性とビジネスの両立という事業運営に生かされた。70年代後半に「コムサデモード」でDC(デザイナーキャラクター)ブランドのブームの一翼を担ったが、80年代後半に業績が悪化。不採算のブランドや店舗から撤退し、取引形態を「委託」中心から消化仕入れに切り替え再び成長軌道に戻した。
日本型SPAの原型も作り上げた。94年に立ち上げた「イズム・コムサデモード」(現「コムサイズム」)だ。「平成ニューファミリー」に照準を合わせた新業態として開発。全国的なショッピングセンター開設ブームを追い風に「デカ箱」と呼ばれる大型店舗網を広げ、業績を飛躍的に伸ばした。
SPAの成功条件として「売り切る力と買い取る力」を挙げていた。売り切る力は持ち越し在庫をつくらない運営の徹底。調達を担う商社との間では、単品ごとのOEM(相手先ブランドによる生産)ではなく「一つのブランドに一つの商社」という手法を取り、双方の収益体質を確立。この手法が業界に広がるきっかけともなった。
近年は体調不良が伝えられ、昨年には代表取締役のまま会長に退いた。業績回復を後継に託し、安心されたのかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
(矢野剛)