【記者の目】《デスクファイル》セクハラ世代

2018/06/18 06:24 更新


 「セクハラされない年齢になると発言権もなくなっているのよね」。少し笑いながらそうつぶやいたのは、ある企業に勤める女性。45歳、1児の母だ。

 セクシャルハラスメント(性的いやがらせ)という言葉が日本でも使われるようになって約30年。これを理由にした民事裁判が89年に初めてあり、契機になったとされる。

 以来、社会的に許されないものとして定着してきたはずだった。にもかかわらず、最近また、マスコミを大いににぎわせるセクハラの話題が相次いだのは、周知のとおり。そんな空気の中で、冒頭の女性の言葉がこぼれた。

 彼女が悲しげなのは、若い頃に思い描いていた状態とのギャップの大きさと、そこに後ろめたさがあるためだ。すでに男女雇用機会均等法の施行から10年を経て、総合職に就いた女性たちは腑(ふ)に落ちない出来事やセクハラまがいのコミュニケーションに直面してもさらりと受け流し、うまく〝いなす〟ことが求められた。決して大ごとにせず、笑顔を作って生き残る。大げさかもしれないが、それが仕事の一部で、社会人として従うべきルールのように受け止めていた女性は多い。

 おそらく、時代が進めば、セクハラにまつわる出来事は減る。自分たちは公平な社会への過渡期にいて、少し残念なことに遭遇しているが、発言権が回ってくれば、後輩の女性たちの盾にもなれるはず。そんな希望とともに働き続けてきたのだろう。

 その考えが甘かったのか。気が付けば、発言権はない。後輩たちから、問題を先送りした世代と批判されても仕方がないと、彼女のため息は深い。少し上の世代として、いたたまれないままだ。

(若狭純子)



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