”ナイロンのパーカが欲しいって思うこともあれば、くれるって言われても欲しくないカシミヤのコートもある。丈夫なだけでも高級感だけでも駄目。その時代の何かしらを持たないと望まれない”
「カラー」を立ち上げて10年。パリ・メンズコレクションでも常連のデザイナーとして阿部潤一は世界的に知られるようになった。カラーで10年、それ以前を含めるとファッション業界で20年以上、物作りに携わっている。その姿勢とクリエーションはどう変わったのか。(小笠原拓郎)
――「カラー」の物作りを見ていると、一貫して製品に対する意識の高さを感じます。
洋服屋がなぜ魅力的かというと、パターンが良くて縫製が良くて素材が素晴らしいものだったとしても、必ずしも完璧なものができないからです。最高級のカシミヤで最高のカッターに依頼すれば、いい物ができるんだったら苦労しない。
でも服ってそうじゃない。ナイロンのパーカが欲しいって思うこともあれば、くれるって言われても欲しくないカシミヤのコートもある。丈夫なだけでも高級感だけでも駄目。その時代の何かしらを持っていないと望まれないものだと思います。
「カラー」を始めた時に、どんなブランドにするか、大きくイメージできていたわけではないんです。やっぱり、前のブランドとは違うことをやらないといけないと思いました。でも、結局、その時に一番かっこいいと思うものを作ったのが「カラー」のファーストコレクションです。
――「カラー」の前の「PPCM」では、当時のデザイナーブランドへのアンチテーゼのようなコンセプトがありました。ある種の匿名性を主張するあたりに90年代らしさも感じました。
デザイナーの名前が出て、それがブランド化していくことへの違和感はありましたね。そういうのって、ファッション業界だけじゃないですか。ホンダやソニーは会社として製品をデザインしているのに、ファッション業界は違う。
だから、一種の記号であるPPCMっていうのをブランド名にしたんですけど。(同じように匿名性を主張していた)「マルタン・マルジェラ」は個人の名前ですけれど、僕たちはファッションブランドが個人のキャラクターであることも否定していたから。でもPPCMで10年、「カラー」も同じだけやっていると思うと、もうそんなに経ったのかと思います。
“変わらないことよりも、変わっていくことの方が難しい”
――匿名性やプロダクト重視の一方で、ショーでイメージを作ることには消極的でした。今はショーもしていますし、ずいぶん変わりましたね。
なぜ、ショーを始めたかというと、洋服というメディアを通して次のシーズンのかっこいいと思うものを、できるだけたくさんの人に見てもらうのがいいなって思ったから。ファッションって製品を作っているけれど、もう一方でぼんやりとしたイメージがセットになっている。
ショーでは、どういうイメージを良しとしているのかを、もうちょっと濃くして見せる。雰囲気やニュアンスやムードを濃くして、感じてもらう場所です。ショーをやる、やらないにこだわっていたこともあったけれど、ずっと同じところに留まっていることの方が良くないと思います。
変わらないことよりも、変わっていくことのほうが難しい。ショーをするようになって、毎シーズン、別の角度から同じ価値観を見せなきゃいけないって思うようになりました。そのためには自分自身が変わっていかなきゃいけないって思います。
――15年春夏コレクションではずいぶん、若々しくなったように見えました。
これまで「カラー」は、スポーツとミリタリーっていうテーマを避けてきました。メンズってそれを入れれば成立するように思えるし、安易だと思っていたので。でも、今回、自分の中でスポーツテイストがずっとあって、使い古されたテーマだけどやってみようって思いました。
スポーツでも、次のシーズンの新しい気分やニュアンスを出せれば成功って言えるんじゃないかって。1年前の14年春夏コレクションではハワイアンプリントを切り口にしましたが、それも今までプリントをあまりやってこなかったからです。自分があまり興味がなかった切り口から見せることで、新しい「カラー」を見せられるんじゃないかって思います。
“企業だから現状維持ではなく、常に拡大を目指しています”
――レディス、プレコレクションと商品も増えました。
「カラー」のメンズの雰囲気が好きで、そのレディス版が欲しいって言う人もいるんです。でも、自分としては、メンズを単純にレディスに持ってくる作り方はしたくない。「カラー」のレディスはメンズのサイズ違いにはしたくないし、独立したブランドです。
その中でリアリティーの問題とかは、いろいろ言われますね。「レディスはハードル高い」って。自分の中で、レディスの服ってそうあるべきだと思っているのかもしれない。自分では着ないし、ワクワクさせてもらいたいって欲しているのかもしれません。
――作り方は10年間、全く変わっていませんか?
やり方はずっと一緒です。企画の最初に、これまで集めてきた自分の好きな生地のスワッチがあって、それを見直していく作業をします。その時に次のシーズンにインかアウトかを直感的に分けていく。同時に、集めている写真やスクラップをインとアウトに分けていく。
それを見て客観的に自分が感じているものを探っていく。そうやってぼんやりしているものを探っていくっていうやり方です。生地のスワッチもスペースの関係で、その箱に入る量って決めていて、当然、捨てる資料もあるし、ニューカマーもある。20年選手もいれば、ずっとあっても選ばれたことがない生地もある。
ワードローブの感じに近いのかもしれません。ワードローブに残っていくものって、ずっと登場しないやつでもどうしても捨てられないものがある。一方で、よれよれになるまで着られて消費されて捨てられる服もある。
でも、洋服が人に愛されるってことは、使用頻度が高いことには限らないんじゃないかって思います。丈夫で安くて長持ちするのが服の第一ならば、靴一足、セーター一枚でいい。みんな、丈夫で長持ちなだけじゃなくて、人の気持ちを動かすファンタジーとかエモーショナルな部分に引かれるんだと思います。
――社長として会社の目標と課題は。
チームでやっていることだから、社長やデザイナーもそのチームの一人です。自分のパフォーマンスを上げていくにも限界があるので、チームのパフォーマンスを上げていかないといけない。少ない人員でストレスも少ない規模でビジネスをしていたら、利益率は高いかもしれない。
でも何かやろうとするにはリスクをとらないと前に進めない。5年前に直営店を出しました。買い取りで卸だけしていた方がストレスはないけれど、自分たちの店を持つことで表現力はアップしたと思う。
今は海外30%、日本70%の売り上げ比率です。ビジネス全体の底上げをしたいし、海外の比率を増やしたい。国内では直営店を増やすというのも課題です。毎シーズン、いいパフォーマンスをして、いい製品を作ろうとしてきた。
それが次につながっていったから、たぶん、このままそれを続ければ11年目12年目に何かしらつながっていくんだろうと思います。企業だから現状維持ではなく、常に拡大を目指しています。デザイナーとしても会社としても新しいことに挑戦したい。