7月末の本紙に茨城県のイオンモール水戸内原が開業20周年を迎えるという記事が載った。ふと、古い記憶がよみがえる。ある素材メーカー幹部の取材後の雑談で、「君、内原って知っているか?」と質問された。首を横に振ると、詳しい説明が始まった。
日本は1938~45年、中国東北部の〝満州〟を中心に「満蒙開拓青少年義勇軍」と呼ぶ10代後半の少年団を送り出していた。文字通り、農業と軍事を兼ねた武装開拓民だ。少年たちは内原にあった訓練所に集められ、3カ月程度の訓練を受けてから各地に赴いた。
総人数は8万6500人を超える。モンゴルのゲルに似た「日輪兵舎」と呼ばれる円筒形の宿舎で、数十人が共同生活を営んだ。ピーク時、内原には300を超える兵舎が並んでいたという。イオンモールからほど近い郷土資料館には復元された宿舎があり、歴史を今に伝えている。
戦後の混乱、旧ソ連によるシベリア抑留などで命を落とした少年も少なくない。近代的なモールはもちろん無かった時代だが、戦が無ければ、少年たちには買い物や飲食を楽しむごく普通の日々があっただろう。今となっては聞くすべもないが、説明してくれた方は義勇軍と関わりがあったのだろうと想像する。今日は戦後80年の終戦記念日。当たり前の日常がいかに貴重なことか、改めて考えたい。