マンションの4階、女性がベランダの手すりを乗り越え、わずかな足場でつかまり立ちしている。携帯電話を握りしめ、もう片方で手すりをつかんでいるが、その手を離せば落ちてしまう。
気付いた人たちが「やめろ」「早まるな」と地上から叫ぶ。女性が落ちてきたら受け止めようというのか、着ていたダウンコートを脱いで手に巻き付ける男性。警官を呼びに走り出した男性もいる。女性は携帯電話で誰かと話していたが、突然「死んでやる」と携帯電話に向かって叫び、放り投げた。緊張が走り、どよめきが起きる。通勤途中で出くわした光景だ。
自分は何をすべきだったのだろう。全く知らない他人だからと、何もしないでよかったのか。もしも、女性が自分の家族や友人だったら、必死に大声で叫び続けていただろうに。
武力による紛争が後を絶たない。多くの人が仕事や住むところを失い、命の危機にさらされる。国際社会が差し伸べる手は届く範囲が限られ、しわ寄せはいつも弱い立場の人に向かう。私たちは何をすべきなのだろう。遠い国のことと傍観者でいることもできる。だが、家族や友人がそこにいて、危険が迫っているなら、叫び続けるだろう。
できることは限られる。小さな声かもしれない。届くかどうかも分からない。でもそれができるなら、叫び続けたい。