少し距離を置いて(浅沼小優)

2013/06/19 15:29 更新


トレンドは毎シーズン、つぎつぎとキーワードを繰りだします。たとえば、ことしはシネマティックな雰囲気に注目が集まっていますが、60年代風もあれば、70年代的スタイルもあり、『華麗なるギャツビー』の公開もあるので20年代も重要だ、といった具合です。

仕事柄、シーズナルなトレンドの話をよくしますが、ときどきキーワードがありすぎて、関連性を整理するのに時間がかかることもあります。マスキュリン&フェミニンはまだわかりますが、今シーズンは40年代、50年代と90年代のエッセンス、とか、クリーンだけれどヴィヴィッドでデコラティブだとか、しまいには、エアリーでクラシカルでポップでジェンダーレスでパンキッシュ、なんて表現を聞いたら、トレンドが不可欠な情報とわかっていても、皆さん、ため息をつきたくなるでしょう。

こんな風に、ファッションがキーワードの羅列によって端的に表現され、一方で全容を理解するには複雑になりすぎてしまったのはなぜなのでしょうか。

よくいわれることですが、80年代以降のファッションは、過去のアーカイヴをある意味パーツ化して、それらを組み変えることによってトレンドの延命をはかってきました。それぞれのパーツや組合せの意味など考える余裕もなく、そもそも意味なんて実はないのかもしれない、という状況の中で、私たちはファッションウィークが終わるたびに右往左往し、売れる要素としてのパーツ、ディテールを探してきました。

経済的に安定した基盤を失った90年代以降、ものが売れないなかで、売れる要素を探さなければならないのは当然のことです。パーツやディテールがないがしろにされた商品には魅力がありません。でも、私たちはパーツを追いかける作業に忙しすぎて、担当するブランドが描く理想のライフスタイルをそらで言えても、なぜそれが理想となるのかまで考える余力はなかなかもてない、それが実情ではないでしょうか。

なんのために商品をつくったり、売ったりしているのだろうと、ものと私たちの関係にかすかな疑問を残したまま次のシーズンがやってきます。このくり返しは、はたして息の長いブランドを育てることにつながるのでしょうか。

先日、私が所属しているWGSNという会社の本社から、東京と京都の取材のためにエディターが来日し、興味深い話を聞かせてくれました。世界の、とくにユース層をあつかっているクリエイターのひとたちは、日本の情報をどの国のものよりも欲しがっている、というのです。それほど日本が重要視されていると、あらためて教えてもらいました。これはうれしいことですが、それならば、多くの日本のブランドが世界規模で羽ばたくために、なぜこれほど時間がかかっているのでしょうか。

さきほど少し触れましたが、たとえば80年代以降のトレンドを考える時、ふだんは意識しないかもしれませんが、大事な要素として冷戦の終結という出来事があったはずです。これがいったいどんな風にトレンドのつくられ方に影響したのか…こんなことを考えてみるのも、ものと私たちの関係をとらえなおす上で無駄ではないでしょう。

こういった事柄を考えるには、短期的なトレンドからすこし距離をおいてみる必要がありそうです。タイトルにあるアンチトレンド主義者とは、ここではトレンドを無視するひとをさすのではありません。無視は強く意識することと同じ意味ですから。アンチトレンド主義者とは、シーズンごとにやってくるトレンドと、そのキーワードだけに絡みとられることに違和感を覚えながらも、なんとか日々をのりきっている私たちのことです。

ときには歴史的な経緯や社会問題もとりあげながら、一見、まったく関係ないようにみえる出来事をつなげて、社会の関心が向かっている先としてのトレンド、ひるがえって私たちのいる場所をあらためて考えなおしてみる。そんなこころみに、おつきあいいただければ幸いです。




短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。



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